今年の、冬・春・初夏と、季節らしからぬ不安定な天候が続くように、
自分の心も、凪の日が少なく、ほとんどが荒れていた。もとい、荒れている。

「自棄のやん八」であります。

スゴい。「自棄のやん八」って俗語は、江戸時代には既にあったそうです。
やけっぱち、という形容も使われていたそうな。

最近(というよりも今さら)、すっかり虜になっている
中村吉右衛門主演のドラマ、『鬼平犯科帳』にいたりなんかして。

「弥毛の屋八」なんつって。

ガセネタばっかり仕入れて来る、全く使えないダメ密偵だけど、
鬼平に「奴の白瓜の塩揉みだけはなぁ、ありゃあ、なかなかのもんよ」とかで、
首の皮一枚繋がってるような感じ。


・・・スミマセン、池波先生。スゲー長時間、叱られそう。


しかしまぁ「自棄のやん八」なら、
まだ何というか、アグレッシブというか、自暴自棄ぶりに機動性がありそうだが、
自分の場合は、

「自棄の屑八」、とでもいいましょうか。

何日で何時などどうでもよく、雨戸も締め切り、薬飲んで寝てばっかり。
イライラカリカリすると、パチンコ打って、余計にイライラ、煙草臭いまま寝る。
お風呂がめんどくさい。ゴハンは、レトルトやお菓子やら。栄養なんて興味なし。
テレビは、『アニマルプラネット』など、出来るだけ「人間」が映らない番組。
掃除も洗濯も、どうにもならなくなったら、最低限やる。
汚れた食器がたまる。しょうがなくなって洗う。

とにかく、「どうでもいい」「人に会いたくない」「めんどくさい」だった。

熱帯雨林の動物だって、深海のプランクトンだって、
お日さまも、お月さまも、ただ粛々と、日々を有為に重ねているというのに。


終わってる。最悪。終わったことを、ぐじぐじ考えてむかつく。
励ましてくれる数少ない方々に、悪態をつく。電話にも出ない。最悪。


ちょっと羅列しただけで、我ながら、ひどい。読み返すと落ち込むなぁ。



7年、ずっとそばにいてくれて、いろんなところに一緒に行った、
ギョロ目のファイティーくんも、放っとかれっぱなしだった。さみしそうだった。


珈琲を、ファイティーくんに話しかけながら、毎日淹れることを始めた。

「おいしいね」「豆がもう古くなっちゃったね」「フィルター買わなくちゃ」



だいたい決まった時間に、必ずすることを、ひとつ。ふたつと増やしてみた。

「部屋汚いよ」「窓開けよう」「オナカすいた」「薬のんだかな」

疲れる。嫌になる。でも、少しずつマシになっていく。素直に、嬉しかった。


元気づけてくれる方々への、感謝と申し訳なさで、また自棄になる。イカン。



この間、群馬の某・伝説の米作りディレクターに、会いに行って来た。
ファイティーくんも一緒に。


ヨレヨレのズタズタの心で、行ったからだろうけど、
一気に癒されたりした反動で、最近また一気に悪化した。なんだかなぁ。

米作りディレクターに、
「いつまでも、母親のようにおにぎりが美味しくならないんですよね」と言ったら、


そんなん当たり前やん。無理無理。
自分の産んだ子供に、柔らかさや塩加減、大きさを
何も小難しいこと考えんで、ひたすら握ってくれんねん。
お弁当かて、そうやで。
お父さんのおかずより小さく、味も調節して、海苔とかちょい切ったりして。
お母さんの愛情の『菌』が、これでもかぁーて詰まってんねん。
遺伝子伝達の『菌』のおにぎり、超えられるわけない。


そうか。そんなこともわからんかったのか。情けない。


でも、大丈夫やて。キミには、それだけの『菌』もろて、貯金があるやん。大丈夫。



今朝。

おはよう、ファイティーくん。おにぎり、握るよ。「わーい」

米を研いで、炊いて。その間に塩鮭を焼いて。

母と自分の手は、指の長さや曲がり具合、関節の大きさがそっくりなのを思い出した。


アチアチッ。グッグッ。チョイチョイ。クルクル。「いただきまーす」


今まで作ったおにぎりで、一番美味しかった。サイコー。

「なんでそんなに泣いてるの?」

ちょっぴりだけどね、『菌』が見つかったからだよ。



『菌』がもっと増えるといいなぁ。病院の世話にならない方の。