約一カ月半まえに、FBにて「今日ほど無常だと思う日はない」っとアップしました。
そして、改めてブログに書きます。と。
FBのように、どんどん上書きされる気軽に手軽に思った事を書ける。でも残らない場には書けない内容だし、どう伝えれば良いのか解らないので今日までのびのびになってしまった内容を書きます。
長いので、興味の無い方はスルーして下さい。
ちょうど、今日が一区切りなのです。
このブログのサブタイトルにもあるように、私は精巣腫瘍という大変稀なガンです。正確にいうと「だった」でもない「です」でもない微妙な状態。
現在は体内にガン細胞ななく経過観察を半年に一度行って、あと6年なにも無ければ完治となり「だった」という状態になります。
10万人に1~2人という超低確率の精巣腫瘍というガン。若い男性のガンの中では一番多いガンだそうですが・・・。
そんな、稀なガンが私の住む田舎の小さな集落でもう一人出てしまったんです。
1kmくらいしか離れていません。
私の3つ年上の方です。
私より、兄の方が仲の良い方で、よく私の店に遊びに来てはMINI欲しいんだよね。カミさん説得するわ~。っていっていました。
サッパリとしたほがらかで、病気には無縁そうな方です。
発覚したのは、昨年の5月。奥さんの実家の田植えの手伝いをして以来、腰痛が酷い状態で整形外科とか整骨院に通い、そうすると腰の痛みが治るという状態。
でも、だんだん眠れない程の腰痛、咳、発熱、胸が大きくなってくるという異変。
近所の病院でレントゲンを撮っても異常なし。
総合病院でいろいろ調べてみたら、腎臓が片方機能していない。
液状の腫瘍が見つかりました。
さらに、両肺にガンが無数に・・・。
原発はどこだという事になり、精密検査を繰り返した所「精巣腫瘍」に辿りついたそうです。
私の兄が、たまたま病院でその方を見かけて。
兄は、俺の弟も同じ病気だよ。でも、あの通り元気だから相談する様にって。
そんなきっかけで、たびたび相談にのる関係になったんです。
精巣腫瘍とは、大きく分けて2種類あり
セミノーマと非セミノーマという組織に分かれます。
私は運よく、全てのガンの中で一番抗がん剤が効き、予後も良い、つまり完治率の高いガン
しかし、その方は「非セミノーマ」の方。
手ごわい方ではあるけど、抗がん剤が効いて治る確率も一般のガンよりも高い。再発率は高いかも知れないけど、通常の生活に戻り、再発してもなんとか乗り越えて生きていけるだろうと思いました。
この時点では、私は「不幸中の幸い」だと思ってました。
両肺にガンが転移しているので、手術はできません。抗がん剤で消えるまで治療しなければならないのですが、ネットで調べてみると、精巣腫瘍からの転移の肺のガンは抗がん剤で綺麗に消えているのが普通。
なので、気楽な感じで消えるだろうと思ってました。
死ぬより辛いんじゃないの?って思うほどの抗がん剤治療が始まりました。
脱毛し、食欲が無くなり、どんどん痩せて行きます。
あまりに辛いので、楽しい事が待っていないと無理という事で。
長年、欲しがっていたミニを購入して頂きました。

ぴかぴかに磨いて、体力が落ちた体でも運転しやすい様に最大限考慮して仕上げました。
凄く喜んで頂き、一時退院の際にはドライブ。当店に来ては楽しそうにミニ談義。
自分も、抗がん剤治療中は辛すぎて耐えれなかったので入院中に長年の夢だったキャンピングカーを探して一時退院の時に買いに行って、治療終了後にリハビリかてら整備して北海道一周してきました。
そういう楽しい事が待っていないと、耐えられない辛さだと思います。
痛いほど、気持ちが解りました。少しでも癒しになってもらえればと・・・。
納車したのが、今年の4月後半。次のクールまでの一時退院の1週間だけのって、再度入院して抗がん剤治療。
そして5月後半に一時退院、そしてドライブ。
ミニがあるから頑張れるって言ってました。
しかし、次のクールが終わってからは抗がん剤の副作用の手足の痺れが更に酷くなって自分で運転する事は出来なくなってしまい。奥さんが運転して、オーナーは助手席という形になってしまいました。
6月後半に当店に遊びに来なかったので、そうしたのか連絡とってみたら。。。。
もう、抗がん剤が効かなくて、肺の腫瘍が肺全体に、両肺に広がり死を待つしかない状態に・・・・。
耳を疑いました。
自分は、この病気に関してかなり勉強していました。ここまで効かない「難治性非セミノーマ」は聴いた事がなくというか知りません。
治療が私の受けたものより辛いとは、予想していましたが。
まさか死ぬほどでは無いと思ってました。
もう、自分の力で歩く事も出来ない状態だそうです。
お見舞いに行った時は、自宅で酸素に繋がれていました。痛みが酷いので薬でコントロールされている状態。
でも、話は出来た。
こんなとき、自分は何が出来るのか考えた。
自分が抗がん剤治療中に癒された事を思い出したとき、仲間が愛犬コールの顔をかたどった花を持って来てくれた。夜中、吐き気で目が覚めて辛い時に、その花が目に入ると気合いが入ったのを思い出しました。

ミニのガーランドを作ってみました。
行けなかった、ミニのツーリング、その方のブルーのミニも入っています。薄れゆく意識の中でも視界に入ればきっと癒されるはずだと。
7月後半に娘さん2人が吹奏楽部で、その大きな大会があるそうです。
本人は、その大会を観に行くのが目標。
余命宣告ではお盆が目標。
大会まであと1週間くらい。
なんとかもって欲しい。
神様がいるなら、なんとか叶えてあげてほしい。
自分は何をどうすればいいのか解らない時に、カミさんが
「私が、同じ立場らなら
子供たちにメッセージを残したい。」
「20歳の時、結婚する時に、直接言えないけど絶対おめでとう!って言いたい。」
確かにそうだと思いました。
こんな事を相談出来るのは、スノーボード仲間のパラッパさんしか相談できないと思って即効相談しました。(パラッパさんも、奥様をガンで無くされて小学生2人を頑張って育てているお方です。)
「子供たちにも聴いたんですが、見たいそうです。」
「ビデオで撮るべきです。見る、見ないは後から考えれば良い。時間は戻せません。」
ガン治療は、助かるかも?という希望があるから受ける事が出来るし、活きていけます。
しかし、余命宣告という未来を絶たれた場合はどうすればいいのか?どう活きればいいのか?
それは、残していかなければいけない家族に何が出来るか?
あと少ししか活きれないとしても、ビデオでメッセージを残そうと思った瞬間に前向きに活きる事ができるんだそうです。
もう、言葉を失いました。
心臓を射抜かれた感じです。
さっそく、病室で見守る奥さんに連絡をとってパラッパさんの言葉を伝えました。
奥さんも、その気になって明日話してみる!って。
しかし、叶う事無く翌日永眠されました。
亡くなる2日前まで、いろいろ話していたので信じられませんでした。
合計9クールという、信じられない程の辛い治療を耐え抜き。
生き抜く事を信じたいたんですが・・・。
悔しい・・・・・。ただただ、悔しい......。
お通夜では

ミニを飾って頂きました。
複雑な心境ではありますが、凄く良い仕事ができたのかな?と思いました。一緒に、ツーリング行きたかった.....。
そして、本日は四十九日
自宅に戻って、引き出物を開けてみると

このバウムクーヘン。
きっとこのバウムクーヘンを選んだ理由を知っている人はあまりいない。
当店で買ってくれたミニの前のオーナーのお店のバウムクーヘンなんです。
前のオーナーさまも、大病をしてそれを乗り越えて現在バリバリ仕事して1年前にバウムクーヘンのお店を立ち上げました。
きっと、そんな風に自分もなりたいと治療を頑張ったんだと思います。
このバウムクーヘンの他に美味しいコーヒーも入っていて、先ほど頂きました。
やっぱり最高に美味しいバウムクーヘンです。
粋ですよね!
このブログを観てくれている人の中には、現在辛い治療を受けて不安な毎日を過ごしている方もいるので書くか書かないか正直悩みました。
しかし、こういう現実もある事も知って欲しいとおもって書きました。
どう、受け止めるかはそれぞれだと思います。
ただ、余命宣告されたとしても前向きに活きる事が出来る事は知って欲しいと思ったし、現在治療中で逃げ出したいと思っても、頑張って乗り越えて欲しいとも思います。
今、生きているという事。
その一点だけは、見失わないで下さい。
どんな状況でも、幸か不幸かは自分で決めるのもの。
常に、幸せと思える強さを身につけたいと思います。
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無常とは。