坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、蝦夷討伐で有名な平安時代の征夷大将軍。
この坂上田村麻呂の父親・刈田丸(刈田麻呂)が、かなりのブス専……だったと知り、いろいろ、本当にいろいろな意味で衝撃を受け「ゆかりの史跡」を見に行って来ました。
福島県にはたくさんの「ゆかりの地」がございますが……
福島県 郡山市 田村町 徳定 古屋敷は『坂上田村麻呂の誕生の地』『坂上田村麻呂の母親を奉る谷地神社』があります。
そして、郡山市の公式HPには衝撃的な伝承が紹介されています。
郡山市のHPの内容を、私流にまとめると……。
当時、外国だった蝦夷・国見山で大武丸が反乱を起こした。
それを制圧するために刈田丸(刈田麻呂)は軍隊を率いて蝦夷に向かった。
陣中に妖しい光を見つけた刈田丸(刈田麻呂)はそれを追って進むと木賊田村の清水にたどり着いた。
そこには根芹をつむ若い女・阿口陀姫がいた。
……ぎゃああ!!
阿口陀姫は、一度見たら絶対に忘れられないレベルのブス……「世界三大ブス」だった。
……が……
ストライクゾーンの広さには自信がある刈田丸は、阿口陀姫と陣中アバンチュールを楽しんだ。
血で血を洗うような戦地で、イチャイチャを楽しむ2人。
やがて2人の間には男児・田村麻呂が産まれた。
刈田丸は「田村麻呂が成人したら、都に連れてこい!」と、刀を渡して命令し、母子を置き去りにして帰京した。
……えっ!?
陣中でラブラブだったのに母子置き去り?
平安時代の常識、マジでヤバい……と、いろいろな意味で衝撃を受けてしまいました。
谷地神社
坂上田村麻呂の母親・阿口陀姫を奉る神社です。
坂上田村麻呂生誕の地 記念碑
『谷地神社』から歩いて1分の所にあります。
周囲を見回すと古くからの住宅地の雰囲気。
城下町のような曲がりくねった狭い道路のため、駐車場所には苦労しました。
坂上田村麻呂の子孫が住んだと伝わる「田村市」在住の方も多いようです。
訪れたのは春でしたが連日、猛暑日が続いていました。
藻がすごいことになっていましたが、悪臭とかは全く無かったので、水が湧いてるのかなぁ?とも感じました。
石碑もありましたが、私には文字が読めません。
でも、たぶん、ここが「坂上田村麻呂の産湯」だと思います。
成願寺
『成願寺』も『二渡神社』も『谷地神社』も、元々は同じ敷地内……?そんな雰囲気がありました。
明治時代の神仏分離で分けられたのかしら?
……思い出しました!!
福島県 郡山市 田村町 徳定 古屋敷!
2019年 台風による大雨で、阿武隈川が氾濫し、大きな被害を受けた地域でした。
この場所は、古代から水が豊富な場所だったから、偉い人の御屋敷もあった。だから住所「徳定 古屋敷」って事かしら?
※※毎日新聞の記事おかりしました※※