正直に言うと、

私たちは離婚してもおかしくない時期がありました。


価値観も噛み合わず、

会話は減り、

「この人と老後を迎える未来」が想像できなかった。


そんな中で起きたのが、二つの出来事でした。


一つ目は、

私の嚢胞が見つかったこと。


命に直結するものではなかったけれど、

「もしも」という言葉が、

現実味をもって家の中に入り込んできました。


二つ目は、

パパ自身の腎臓の不調。


自分の体が、

「もう若くないよ」とはっきり警告を出した瞬間だったと思います。


それを境に、

パパは明らかに変わりました。


怒らなくなった。

家のことを気にするようになった。

子どもたちを見る目が変わった。

そして、私への接し方も。


たぶん彼は、

「失うかもしれない未来」を初めて具体的に想像したんだと思います。


健康も、家族も、

当たり前じゃない。


そこで初めて、

人生を“先送り”にするのをやめたのかもしれません。


人は、

何かを失いかけたときにしか

本気で人生を考え直せないのかもしれない。


それは弱さでも、ずるさでもなく、

人間らしさなのだと、今は思います。