これは私が生まれたてほやほやだった時代の話である。
つまり、これは私の記憶ではないし、思い出し怒りですらない。が、母から聞いた話なので、信憑性はまぁそこそこだ。

 父と母が結婚し、母は産まれたばかりの娘(私のことだが)と共に、父の実家で同居することになった。
経緯を聞くと嫌な顔をされるので聞いていないが、父は三人きょうだいの末っ子で、溺愛されて育ったらしいのでその為だろう。

 まぁ、ともかく母は大変渋った。渋さで言えば渋柿を有に超えるであろうくらいには渋った。カラスウリも凌ぐかもしれない。
というのも、母は祖母(母にとっては姑)ひいては義実家とのの折り合いがすこぶる悪かったのである。

 嫁入り道具の食器類にはケチをつけられ、嫌味を言われ、舅からのセクハラ、挨拶すら無視を決め込む小姑、ド田舎特有の封建社会が残った「嫁の身分は下」という価値観に晒され、相当な酷い目に遭ったらしい。

 父はともかく、祖父母や叔母に関しては、私を普通に可愛がってくれたため、この辺りで切り上げる。
 母からしたら地獄だっただろうとは思う。私が母の立場なら結婚やめて別れているところだ。

 阿呆の父が母のことを考慮する訳もなく、同居が決まった。それから始まるテンプレートな嫁いびり(母談)。

 私の名付けに関しても「おかしい」「変だ」と言われ続け、最終的に漢字だったはずの名前は平仮名になった。
私は原案も今の名前も可愛いので好きだが、母はトラウマになっているようで度々「かをり、自分の名前好き?」と聞く。

 新生児の私は知る由もないが、泣く度に姑舅に怒鳴られるのは相当なストレスだっただろう。怒鳴られない環境だとしてもめちゃくちゃ泣く赤ちゃんはストレッサー間違いなしだ。
 その間も嫌味やセクハラや色々は継続されている。

 夫たる父は? 母のことを助けたか? 自分の両親を諌めたか?

 当然、否である。阿呆の父がそんなこと出来るわけないのだ。娘の世話すら参加しない。見かねた母が世話に参加させようとしたら「息子にそんなことさせるな」と再び怒鳴られる。当の父は何処吹く風。端的に言ってクソ。

 私は結婚したことも育児経験もないが、そこは普通「自分の子どもなのだから育児に参加するのは当然」だとか言って自分の妻の味方をするんじゃないのか。
 しないのが普通なのだとしたらこの世はクソなので私の生涯独身希望に拍車がかかる。違うと思いたい。

 母が直々に訴えても「悪気はない」の一点張り。父の普段の傾向からしてその言い様がまざまざと目に浮かぶようだ。多分クソほど偉そうに「お前が上手くやればええんやんけ。なんで素直に出来ひんねん」とでも言ったのだろう。はいはい、ShineShine。

 そんな地獄のような日々を過ごしていた母は、精神を病み始める。
味方になってくれず、毎日をだらだらと過ごすだけのでかい子供な夫。嫁いびり集団の義実家。何も分かっていないので泣きたいときに泣くし愚図るし寝る娘(乳児)。
 娘が泣くと怒鳴られるので、愚図る私を風呂に入れながら、

「このまま沈めれば静かになる。もう怒鳴られなくて済む……」

とか考えたらしい。私は知らず知らずのうちに命の危険に晒されていたようだ。ベイビーかをり危機一髪である。
 母が持ちこたえたので私は無事生き延び、成人を迎えられた。母は偉大である。父は矮小だ。

 色々あって母は義実家を飛び出し、同居は解消になった。
もし、母が持ちこたえてくれなかったら。無理に連れ戻されたら。

 ……まぁ、死んでただろうなぁ┐(´-`)┌