初めに、辛かった状況を
回想しながら打っているので、
文章にまとまりがなく読みづらい箇所が
あるかもしれませんがご了承下さい。
息子の死亡理由は、
【持病である心臓疾患の悪化】
による急死でした。
生まれた直後から心臓の状態があまりよくなく、
【大動脈弁狭窄症】
という病気を抱えていましたが、
手術をすることもなく、定期検査と薬による
治療のみの経過観察で過ごしていました。
小学校に上がった頃から
急に体調が悪くなるようになり、
そんな中でもお休みを頂きながら
学校の先生方の理解と協力を得て
息子の体に負担があまりないよう
学校生活を過ごさせてもらっていました。
そして、
検査入院を待っていた矢先の事でした。
早朝、目が覚めた息子は、
突然気持ち悪いと言って嘔吐し、
ゔーゔーと言いながら意識を失い、
そして呼び掛けにも反応することなく
呼吸も止まってしまいました。
『あー!どうしよう!!息してない!』
夫の動揺し取り乱したそのセリフを聞いた瞬間に、
強制的で抗えない現実に襲われ
発狂しそうなほどの感覚と、
大丈夫。と、どこか冷静に感じている自分と。
そんな精神状態の狭間に陥っていました。
夫も私も身体が震え、私は救急車すら呼べる
状態ではなく夫に電話してもらいました。
夫が息子を抱きかかえ、
マンション1階の踊り場まで運びました。
心肺蘇生を試みましたが、
とにかく冷静を保てる訳もなく
自分達が正しく人工呼吸出来てるのかさえ
意識することが出来なかった。
救急車がなかなか来ない感覚に、
早く!早く!早く来て!!
と怒りにも似た感情が湧いた。
サイレンの音がかすかに聞こえてきた。
ただ体感として、その音が永遠に近付いて来ない。

やっと隊員の方々が到着し、
息子を抱きかかえたまま
意識レベルなどの確認が行われました。
そのとき、私の腕の中で急に息子が目を見開き
口を大きくあけ、
まるで上から腹部を吊り上げられたかのように
身体を思いっきり反らせました。
そして息子の身体は一気に脱力しました。
私はその瞬間に
息子の魂が上に抜けてしまったような
そんな感覚がして、
(あぁ、嫌だ嫌だ!!逝かないでっ!!)
と気が狂いそうになってしまった。
すぐにAEDによる蘇生が始められました。
『電気ショックによる蘇生は必要ありません』
みたいなニュアンスだったと思うが、
器械からそんなアナウンスが聞こえた。
私は何の知識もなかったので、
そのときは息子の心臓がまだ動いているから
電気ショックを流す必要がないんだと思っていた。
けれど実際は、その逆でした。
完全に止まってしまっている場合も、
そのようなアナウンスが流れることを知りました。
隊員の方による手での蘇生に切り替えられ、
心臓マッサージをしながら救急車に乗り込み
病院へ向かいました。
その間も夫の身体は震えが止まらず、
とにかく何かしなければと思い、
夫の背中を擦り続けました。
でも私はというと、
夫の状態を把握出来る程の余裕があるのかと、
自分のどこか冷静な感じが薄情だと、
そう思えることにさえ嫌悪感が湧きました。
病院に到着し、そのまま外で待機していた
スタッフの方々に息子は運ばれていきました。
親である私たちは待合室で待機させられ、
その間に受付で息子の診察券を作らなければならず、
必要事項などを書かなければいけなかった。
今、息子は蘇生の真っ最中。
正直言って、どちらもそんなことが可能な
精神状態ではありませんでした。
夫と私、どちらが対応したのか
全く覚えていません。
どれ程の時間が経っただろうか····。
大丈夫、大丈夫。
息子は息を吹き返す!
ねっ!絶対大丈夫!
夫が何度も何度も言った。
途中、笑みすら出てきていた。
実際に夫は火葬する最後まで
息子が息を吹き返すと思っていたそうです。
蘇生にあたっていたスタッフの方が来て
こう言ったのを覚えています。
『もう1時間以上蘇生を試みてはいますが、ご両親にとってとてもお辛いとは思いますが···、もうこれ以上は見込みが限りなく低い状況です。』
私たちに覚悟を決めて欲しいということと、
最後に息子にお別れをする準備ができたら
治療室に来て欲しいというような話をされました。
夫と私はすぐに息子のところへ行きました。
管を繋がれた息子。
スタッフの方がまだ心臓マッサージを
続けてくれていました。
蘇生をしても、もう見込みがない。
そんな中、家族に対する配慮のみで
続けられていた心臓マッサージ。
しかし息子の顔を見た瞬間、
(あぁ、もう戻ってこない····)
そう感じた私は、夫に確認をとることもなく
『ありがとうございます。もう止めて下さい』
と告げてしまいました。
今思い返しても、
何故そんなことを言ってしまったのか
自分でも理解が出来ません。
ただ、その瞬間は
息子は戻って来ないとはっきりとした確信があり、
もう休ませてあげたい····
と、そう思ってしまいました。
『すみません·····』
そう言って、蘇生を続けてくれていた
スタッフの方はゆっくり、
息子の胸から腕を下ろしました。
そのあとに医師によって
死亡時刻確認、死亡宣告がされました。
息子から管が取られ、
身体を綺麗にしてもらっている間、
私たちはまた別室で待機していました。
部屋に着いて座った途端に
急に私は自分の呼吸が浅くなっているのを感じ、
その後どんどん息が荒くなり、
過呼吸になって倒れてしまいました。
夫の支えもありその後何とか回復し、
夫と私と息子の3人だけにしてもらいました。
そして息子を抱きかかえ、
何度も何度も何度も、
『ごめんね、辛かったよね、苦しかったよね。ありがとう····お疲れ様。大好きだよ』
気が済むまで
何度も何度もまだ温かい息子の体を擦り
手を握り、顔を撫で言葉をかけました。
白い布をかけられ、
霊安室に運ばれている間も
動かない息子を見ては
『苦しいじゃん!!』と言って生き返り、
手で布を払う息子の姿が
何度も頭の中でループしていました。
霊安室に着くなり、
今度は夫が立っているのもやっとなくらいの
状態になってしまいましたが、
すぐに死亡診断書を受け取る手続きを
しなければならなかった為、
少し落ちついた私が行きました。
正直、違う誰かにお願いしたかった。
息子から離れたくありませんでした。
数時間の間に憔悴しきってしまった夫の表情。
1人にしたくありませんでした。
受付で手続きを済まし、
待機している間があんなにも酷だとは
想像もしていなかった。
周りの人の話す声、
咳をする音、
人が歩く音、
院内の照明の明るさ、
スタッフさんのパソコンを打つ音、
自動ドアが開いたり閉まったりする音、
周りの【生】を感じる状況とは対照的に、
【死】と今まさに直面しなければならない
現実に思考と心が付いていけず、
ただただその場に居合わせなくてはいけない、
そんな時間が今思い返しても
酷しかありませんでした。
目に映るもの、
耳から入ってくる音、
院内の空調、
身体で感じる全てが痛みになり、
1分先の未来さえ真っ暗で想像出来ない、
辛く耐え難い時間でした。
そんな中時間は流れていき、
息子が学校へ登校するはずの
時間になっていました。
息を引き取ったことを
学校へ連絡しなくてはいけない····
葬儀屋さんとの話し。
親への報告。
それから先も、
ひとつひとつ
クリアしていかなければならない作業。
全てが酷でありながら、
今振り返ってみると、
そうやって時間の恩恵を受けながら
人は現実を受け入れていくんだと実感しました。
息子が亡くなったこと。
その日、その時間、その瞬間。
過去を振り返るという作業は
やはり辛いものですね。
これが地球か·······。
重すぎるってば。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
