『ドラゴン桜2』の漫画原作者にしても、
ドラマ監督にしても、その方々自身は、
「社会で活躍」している高年収の
「修羅」であることは間違いないと思うのですが
日曜劇場『ドラゴン桜』にしても、
原作の漫画版にしても、
これらを視たり、読んだりする時に、
クリティカルに捉えなければならないところがあります
それは、ドラマは視聴率獲得基準で制作されているし、
漫画も漫画本が売れる基準で創られているという点です
随所随所に、的確に表現されているので、
原作者・プロデューサー共に、
かなりクリティカルに分析できているなと、
感心させられるところがありますが、
これは多くの視聴者たちが気づかない部分でしょう
例えば、『ドラゴン桜2』では、
前作で東大に合格した教え子が、
大人になって登場します
1人目は、水野直美、
前作では一浪の末に東大に合格。
その後、弁護士資格を取得し、
桜木が経営する法律事務所に入所
今作では、桜木のアシスタントとして、
高校生と向かうことになります
原作版で、矢島勇介は、
「ルールを作る側になれ」と言われたことで、
東大を卒業後、官僚になりますが、
ルールを変えることはできないという現実を
目の当たりにして官僚になることを断念
世界放浪の旅に出ています
・・・共に「東大卒業」したものの、
「社会で活躍」といえば、かなり微妙な状態の設定です
少なくとも、言動から見て、
「東大卒」という名誉的な肩書は持っているので、
自己満足に浸れる人生は送れていそうなものの
私たちのコミュニティで言うところの、
「修羅」とは程遠い状況であることは確かです
「東大卒」だからと言って、
社会で活躍できるわけではないということが、
制作側によって、クリティカルに描かれている部分であると思います
現に、私は『ドラゴン桜1』『ドラゴン桜2』と
原作・ドラマ両方視聴していますが
大富豪一族、マスターヒロさん直伝の
「0歳〜18歳の英才教育論」基準で見ると
物語内の「東大合格」に至る活動そのものは、
彼らドラマ内の学生たちに合った
「東大合格」という目的からは
逆算された活動になっているとは思いますが
しかし「社会で活躍」の「必要パーツ」を集める活動には、
なっていないことが明らかに分かる部分です。