フィンランド面白いんですよ。

東京都の半分以下の人口で頑張る可愛い国。

マリンは大嫌いでしたけど。

教育大国で有名なんすけど、その実力にビビりました。

彼等の言語はロシア語に近いらしいんですが、やたらと英語が上手い。

若い人達はほぼほぼネイティブ。

でもボクとご同輩な50代60代はそうでもない。

と言う事は教育な訳ですよ。

是非輸入しましょう。

ウチの国の英語教育はクソ過ぎます。



彼の国は常に教育水準は世界トップクラス。

どうやって評価するんでしょう?

ミシュランと一緒で素朴に疑問。

もとい。

90年代にはいち早く教育のデジタル化を推進。

ところが結果は裏目に。

と言う訳で紙と鉛筆にもどる。と。

わかるわあ。それ。

教育におけるデジタル化は例えば英語の発音がわかる、とかわかんない事すぐに調べられる、とかいいとこもありますけど、明らかにマイナス要因が多すぎる。

まずはその「情報量の多さ」。

アタシャ埼玉うまれの埼玉育ち、生粋の玉っ子でさあ。

何か欲しいものがあると店は一つしかないのがあたりまえ。

東京さででぎでビックリこいたださあ。

何か欲しいものがあると店は無限大。

アタマ止まりました。

まずはこれだんべよ。

過ぎたるは及ばざるがごとし。

昨今は選択の自由は人権として当然、の風潮ですが、実は選択の自由は拷問。

フレンチ食いに行って聞いたこともない料理が100種類ならんでいたら尻尾巻いて逃げ出します。

オトナならね。わけわかんない時でも選択できますけど、人生経験のない子どもにはそりゃあ拷問。

かろうじて選べたとしましょう。

でも次から次に新しい料理を紹介される。

絶対に何食っていいかわかんなくなります。

ボクのところに来る子達はガチで取捨選択がヘタクソ。

だから昨日はあれやりたいなのに今日はこれやりたい、で明日はそれやりたい。気もそぞろ、とはなんぞや。

これでは何かを習得する事などできません。

ワタシ、ドラム叩くんですけど最初に習ったスタイルでは全く叩いていません。

でも最初に教えてくれた先生のスタイルを基準にして自分に合う様に改良したんです。

その時にいっぺんにいろんなスタイルを学んでいたら混乱して前に進めない、それどころかやめちゃってたかも。

やっぱり情報の限られた「教科書」で、基本を学ぶ。

そこから広げて行くのが正解です。

人生についてもそう。

まずはみんながやってる普通の方向へ。

それから自分に合わせてくずして行けばいいだけです。

場合によっては反抗勢力になってもいいです。

でも基準がなければ反抗すらできない。

スマホだネットだなんて子ども達を道に迷わせるためにあるとしか思ませんがな。

情報多過ぎ。



フィンランドだかノルウェーだか忘れちゃいましたけど、授業時間がすくない、宿題がない、のに教育レベルが高いとか言うじゃないですか。

あれも絶対に必要のない科目をカットしたり情報量は削ってるはずです。

同じ人間ですから。

そして。

例えば宿題はないけど落第がある。とか絶対に「自己責任」を強要している筈です。

本人のやる気「自由意志」なんか国によって違うわけがありません。

ウチの子が行ってるインターは日本の学校より明らかに自由、そして自己責任を強要するのでたぶん間違いがないか、と。

宿題がある。と言うのは極めて保護的なわけですよ。

オレは日本のこの大きなお世話型教育は社会で子育て、感があって好きだけどなあ。

もとい。

今日は情報量を中心に論じてみました。

まあ、遊んじゃう、とか集中できない、とか切り替え悪くなる、とかいろ色々ありますけど、実はこの利点にしか見えない「情報量の多さ」が何より子どもを道に迷わせている、と思う玉っ子でした。

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