もしかして、考えが逆転してしまっているのではないのだろうか?やる気がないから、ダメとか。そのダメな事に囚われているような気がして、やる気を出さない。そうではなく、やる気が無いのなら、出せば解決するのでは?それならば、ダメな事などを無尽蔵に考えなくて済む。理由はないとは言ったが、強いて言うなら、楽しく生きたいからだ。やる気を出すのに理由はない。やる気を出さないでじっとしているより、やる気を出す方が何事も楽しい。まさしく、やるかやらんかの世界である。理由をあれこれ考え出すから尚更ダメになる。感覚的に言えばやる気が出た瞬間を逃さない事。もっと本能的に生きたらいいのだ。こういう風に、僕も含めて、みんな本能が死んでいると言えると思うのだが、その底にある考えとは、本能は悪である、という脅しだろう。本能を抑え過ぎて、考え過ぎて、みんなが狂ってしまっている。そういう風に私たちは西洋文明に倣って理性的社会を目指してきたわけだが、考え過ぎて、狂った人が増殖してしまっている。皆さん思い起こすといい、悩む時とは常に考えている時ではないだろうか。言い方を変えれば脳が暴走している時ではないだろうか。そして、解決する時は、動いている時ではないだろうか。本末転倒になっているのではないだろうか。もっと本能を信じたらいいのではないか?昔は情報化社会ではないので、頭でなく、人間の将来の特性を生かしてみんな生きてきた。だから、現代のような脳を暴走させる事もなかったはずだ。
やる気を出さず、そのやらない言い訳を並べ立てる自分は嘘の自分だ。
自分は過去、自棄になって、自分の精神を無茶苦茶にしてやろうと思って無茶苦茶にした自覚はあるけれども、それを直す為に相当の努力をしなければいけないという自覚がない傲慢な態度に気付いた。本当に今生きている事が不思議なぐらい無茶苦茶なのだ。まずは、その気付きに素直になる事から始めよう。だから、少しでも成長すればよい。成長を感じられないと、また、ダメ→落ちこむというループに入っている。自分を受け入れる事と、前進の二段構えで過ごしていく事。