いやーこれは見た時から感想を書きたかった作品でして。

大学の友達とか高校の友達に言っても誰にも相手にされないよなーとか思ってたのでとりあえず感想文とか文章書くことが好きで読書も好きな文字中毒大学生感想書きます‼️場違いですね^^ちなみに文章書くのは好きでも苦手です。



はいさて、本作についてですが、宝塚好きだから色々と見ているけど、現代作品ではないものでここまで現代的な作品があっただろうかと‼️もちろん星組の記憶にございません!とかは現代作品で現代的だなとは思っているのですが💦

ボー・ブランメルは衣装は宝塚そのもので、しかしながら描写が現代的すぎて現代を生きる若者(?)にはぶっ刺さりましたね。







生田先生さすが!幼い時のブランメルの描写が印象的でそれ以外は一般的な豪華絢爛な宝塚の作品という感じに見えますが、以下のような現代描写が含まれていて、私のような未熟な若者から大人まで刺さる作品でした。

ブランメルの幼少期の描写は、現代社会で言われるようになったインナーチャイルド(幼少期の経験、感情、特に満たされなかった欲求や傷つきが、大人になった今も無意識の中に残り続けている「心の中の小さな自分」のこと)⬅️GoogleのAIによる要約

が主題となっているのではないかと感じざるを得なかったのですよ。幼少期の教育、しかも毒親の洗脳教育によるものにより、その思想と幼少期の自分に行動が左右されている弱い男というのがなんとも令和らしいというか、正直何人かの同期男子が頭に過りました笑笑笑笑


ボー・ブランメルは自分に自信がない、自分自身を認めてあげられないジョージの鎧のような存在で、ジョージからしたら自分が強くあるために必要な、幼少期のジョージが社交界では男性はこうあるのが美学だと考え作りだした完璧な男性がボー・ブランメル。ボー・ブランメルであることはジョージ自身が必要以上に傷付かないための自己防衛でもあるわけで。


この作品の何が良いかってハリエットに対することを考えている時には幼少期描写がないんですよ。

自分の社交界での立ち位置を確立したりとか自分自身を魅せる時はボー・ブランメルになって、1人の女性として大好きなハリエットのことを考えてハリエットのために何かをしてる時はジョージなんですよ、もう萌えます。

幼少期と父親に囚われているジョージの鎧となっているボー・ブランメルではなくジョージ自身が頭を使ってハリエットのことを思っているのがもうアツくてアツくて😭😭😭こんな愛され方してみたいものですねー




最後がふたりが結ばれるエンドではないというのも美学ですよね。生田先生神ですよ。何故かと言うと、ふたりが結ばれたらジョージの自身の魅力がないことになってしまう。

ハリエットが女優として成功することが幸せだし、ふたりがくっついても二人で国外追放されるだけでハリエットが楽な暮らしをできることはない。

ここでハリエットと国外に出るという選択をジョージがしたら、ジョージにはハリエットがどうしても必要で相手の幸せよりも自分が好きだから相手を自分の手元に置いておきたいという自分勝手な自立の出来てないただのイケメンになってしまう。ここでジョージが最後にハリエットのためにダンディな男を演じ、ハリエットの舞台を見て赤い花束を送りひとりで去る、そうすることでハリエットの幸せを願える強い男であることを示しているの神すぎますよ😭😭😭😭😭😭





まあ女としては最愛の人と結ばれたいし、幸せになれなくても職を捨てても結ばれたいんだけどなーとか考えて見てましたけども^^

そこが宝塚の魅力なんですよね。強い男女が強いまま締めくくる、存在できるカップル像を観劇した人に与える、そこも私に刺さるところだと思います。


演出者は違えど花組のハンナのお花屋さんのハンナとアベルもお互い弱い所を持ちながらも相手のことと自分のことを第一に考えている、本能的にも理性的にも大人な2人を描写してる所が宝塚の刺さるところですね。


あ、あともう1個現代的だなと思っていたのが、自我のあまりないある程度イケてる男女が大学時代に社交界で出会って、音信不通を経て再会してまた本気の恋が始まるところ。


今の時代モラトリアム学生は渋谷や新宿のクラブに集まって踊り狂いますよね。

そして仲良くなり、音信不通を経て社会人になった時ふとしたところで再会を果たして気まずくなる笑


これは私たちの親世代のディスコであっても同じことが言えるわけで。



観劇している人に共感を与えつつ、美しい生き方を指し示す、とてもぶっ刺さりましたね。