仕事とストレスは切っても切り離せないものだと年々痛感している。


たとえば今日の出来事。

私が助けを求めたことに対し、いや~な反応をされる。

あからさまな態度・言動。

こちらもついついイライラして相応の態度言葉を返してしまう。

冷静になると、私が悪かったのかな、と落ち込む。

やっぱりこの仕事は向いてないんじゃないか?

人間関係のトラブルは仕事を辞めたくなるひとつ。


こんな状況を何度となく繰り返して、乗り越えて今日につながる。

前を向いていても、また訪れ、またすっきりせず家で悲しくなる。


忙しさ、不安、疲れ、相手との距離感、プライベートの事情・・・

一人ひとりにそれぞれに状況がある。

仕事の中での関わりである関係上、そこはわからないから配慮のしようがない。

しょうがない。

仕事をする以上、そこを飲み込むのが社会である。


わかってはいても難しいもの。

私だって、反対にほかの人を同じような想いにさせている心あたりがある・・・。



小学5年生のとき

私の担任になったのは新卒の23歳の女性だった。

男勝りの性格でいつもジャージ。化粧なんてしない。

言葉づかいもきれいとはいえなかった。

生徒のことを呼び捨てで呼び、大きな声で怒ってばかり。

みんな彼女から威圧感を感じてた。

はじめは本当に苦手で、家に帰っては母親に悪口をたくさん言っていた。

11歳の女子たちは思っている以上に大人で、個人では敵わないことを承知で

集団で彼女に対抗していた気がする。

1学期はとても雰囲気の良いクラスとは言えなかったと思う。


そんな彼女かある日、面談をすると言って、休み時間や給食の時間を使って

一人ひとりをベランダに呼び出し

「先生の直してほしいところは?」

「先生にしてほしいことは?」と聞いてきたことがあった。

1人では負けてしまうのは明らかだと、恐怖を感じていた私はびくびくしながら

「もうちょっと女の人らしく・・・化粧とかしたほうが・・・良いと・・・思う・・・。」

と答えたのを覚えている。笑


そのあとその先生がどんな変化を起こし、私たちとの関係性がどんな過程を通り

変わっていったのかは覚えていないけど、

その年のクラスは楽しかった、いい先生だったな、と今となっては思い起こすのだ。



今、社会人となって、彼女の年齢を追い越し彼女はすごい人だったんだなと感じる。

はじめは少なからず社会への憧れや希望を持って踏み出すものだが

それはすぐに、所謂「現実の壁」にぶち当たる。


必ずやらなくてはならない社会の決まりごと

目の前の仕事

時間

疲れ

どうしても譲れなかったり、しなくてはいけない自分の時間


そんなものたちを常に抱えながら、仕事をこなしていくことで

人はあきらめを覚えるものなのだ。

「これをしたいけど無理。」

「これができたらな~また来年。」


彼女はその年の終りに、校庭にタイムカプセルを埋める計画を立てた。

小学5年生。卒業の年でもない。

春休みが終われば、クラスは違ってもみんな顔を合わす。

担任も変わるだろうけど、会えなくなるわけじゃない。

あの頃はそんな深くは考えてなくて、

「楽しそう♪」そんな程度でみんなで、20歳の自分に手紙を書き、

穴を掘り、まだまだ先のキラキラ眩しい将来を想って埋めたんだと思う。


自分の母校なわけでもない、周りは経験年数の多い上司ばかり。

その中で自分の思いを実現させたのだ。

許可をした上司もまた、懐の深い人だったのだとも思うんだけど。


人によっては、独りよがりだとか思って鼻で笑う人もいるんだろうけど

少なくても私には素敵な思い出だよ、先生。


実は私が掘り起こしの実行委員の一人で、20歳になったら掘り起こそうと約束して

もう7年目が経とうとしてるんだけど・・・

また味があっていいよね。笑


結婚をし子供を産んで、ママになったあなたは今どんな人生を歩いているのでしょうか?

もう10年以上連絡も取ってはいませんが

もしかしたら、今になって超現実主義者になっていたりして・・・。

はたまた、挫折や苦労で満たされない毎日を送っていたとしても

それはそれでまた理解できる歳になってきたよ。


仕事をする上で夢や理想はやっぱり大切。

一生懸命やろうとするからぶつかることも多いのよね。

でもそうやってぶつかったことは、いろいろ考えさせてくれる。

何も変わらなくても、自分の考えに一呼吸を置かしてくれる。

16年たった今の私に響いているよ。

ありがとう。