努力して奇跡を起こした人間と努力をしなくても奇跡を起こした人間の二通りがある。
努力をしても奇跡を起こせなかった人間と努力をしなくて奇跡を起こせなかった人間の二通りがある。

努力をして夢を叶えた人間と努力をしなくて夢を叶えた人間の二通りがある。
努力をしても夢を叶えられなかった人間と努力をしなくて夢を叶えられなかった人間の二通りがある。

努力をして幸せを手に入れた人間と努力をしなくて幸せを手に入れた人間の二通りがある。
努力をしても幸せを手に入れられなかった人間と努力をしなくて幸せを手に入れられなかった人間の二通りがある。


幸せって結局何かを失った時に気づくから

「何かひとつ」 の歌詞

幸せと辛いは横棒 「ー」の差なんだ。
何かとは横棒 「ー」なんだ。

一とは紙一重と言う表現が合うのかもしれない。


幸せは横棒「ー」が失くなるだけで辛いになる。
一瞬を大事にしなかった。
一人を大事にしなかった。
一度を大事にしなかった。

この「ー」なのであろう。



辛いとは自分から逃げだしたいときに使う言葉なのかも知れない。
でも人は幸せがある以上辛いも必ずある。

それを乗り切れるか乗り切れないか。
乗り切るというのはその字の通り。
でも乗り切れないとは自らを断つことを意味するのではないか。

その窮地に立ってる人間はたくさんいるでしょう。
自分もその一人ではないか。


「奇跡は必ず起きるそう信じれば」
と言う言葉がある。

でもそれは本当なのか
信じればすべて起きるもの?
起きないこともあるのではないか。
でも起きて欲しいと人は願うんだ。

自分だけかもしれないが答えはみな早く欲しいはず。
そして早くて最高の答えが欲しいはず。

その答えは良しか悪しか。



「これがどん底と思ううちは本当のどん底ではない」
この言葉も本当なのか。

辛くてどん底だと思った人間はたくさんいるはず。
逃げ出したい時もたくさんあるはず。

「神様は時に残酷なことをする」という表現が正しいのかもしれない。

神様を信じる人間と信じない人間のこれも二通りがある。


人は 叶えたい・上手く行って欲しいなど願いがあれば神様に祈りを捧げることが多々あるだろう。
これを気休めと捉えるか、最後の砦と思い決断したのが神頼みなのか。

祈りを捧げて叶った・上手くいった人間と祈りを捧げても叶わなかった・上手く行かなかったの差はどこにあるんだろう。

私生活?祈りを気持ち?
神様は時に残酷なことをするというのはうまく行かなかったことに対しての不満に過ぎないこともあるのではないか。


でも努力をしないで叶わなかったなら努力をして叶わなかった方が後悔の度数は低いのではないか。
もちろん努力をする以上は叶えたいという気持ちは強いしもちろん叶えたい。

だから人は早く最高の答えが欲しいと祈るばかりだ。

ただどん底になったらどうなるのか 。

私事ではあるが
今でも5ヶ月間の辛さはほぼ変わらないまま。  
時折このことでフラッシュバックもする。
本当に自分は弱くて自意識過剰で一人じゃ何も出来なくて人に迷惑をかけて人を困らせてばかりの最低な人間だ。
最低=クズなのだろう。


貰った命生きさせてもらってる命を無駄にしてはならないと思う。

「明日が来るのは幸せなこと。」
確かにそうだ。
でも自分は違うと思う。
「幸せな明日が来るのを願う。」
人はみなそうなのではないか。