オリジナル、生物用語の「脊索」をキーワードとした小説です。くそ長いよ!ww
私ははじめて彼を見たときから、彼のことを不思議な雰囲気をもつ青年として記憶していた。
特に意味はない。ただなんとなくそう思っただけだ。
だから、周りから何が不思議なのかと聞かれても答えることができなかったし、それでも変わらない彼への認識こそが不思議なものではなかろうか、と自分でも気付いていたつもりではある(それを認めようとは毛ほども思わなかったが。それに今になって考えてみれば、彼が不思議ということよりも私のその何の根拠も確証もない勘が本当に当たっていたということのほうが驚きであるし、不思議であると思うのだ。結局それから先何年も生きてきたが、私の勘がきちんと当たったのはそれ一回だけだったのだから)。
だがそうは言えども、当時の私も今の私も、主観を完全に取り除いて彼を見てしまうと、彼には特筆できるような能力があるわけでもなかったし、特別成績がいいわけでもないひと、としか見ることができないのである。彼は人間的に見ても変わっているというわけじゃなかったし、ただ強いていうなら学校をよく休んでいて、来ているときでもクラスの隅に置かれた自分の席に座って目立たないように過ごしているだけの、そんな青年だったのだ。
しかも私は、今でこそこんな話し方をしているが、高校時代はいわゆる“やんちゃ”(とは言っても本当は周りに合わせていただけで、法に触れるような何かをするのがとても怖く、いつも手前になってはそこから逃げていたのだが)な悪ふざけの過ぎた人間で、どちらかと言えば優等生であった彼とはまったく接点がなかったのである。
自分から率先して目立つ私と、自分から率先して目立たない彼。お互いに変なやつだな、と思ったまま、私たちは学校生活を続けていった。
そんな生活がもうすぐ終わりを迎える、という頃のことである。
その日はちょうど、都内でも初雪が見られただのとニュースで大騒ぎしていたような、とても寒い日であった。朝起きて、カーテンを開けたとたんに飛び込んできた白銀の世界が、とても印象深かったことを覚えている。
とは言えど、人間誰だって寒さに強く外の雪景色を楽しめるようなものではないのだ。残念ながら私はその寒さに弱く景色を楽しめない少数派の人間だったので、こんなに寒くて何が勉強だ、どうせなら学校を休んでしまいたい、と心底思った。本当は布団に潜り込んで登校時間ギリギリまでずっと寝ていたかった。いっそ休んでしまいたかった。だが運の悪いことに、その日はちょうど出席番号順に回ってくる日直の仕事があり、どうしても朝早く登校しなければならなかったのである。
学校になど行きたくはないが、このまま周りに合わせていれば出席日数が足りずに留年してしまう。はやく卒業して家に金を入れねばならないのにそれはまずい。
やんちゃをしているくせに、そんな優等生らしい考えが浮かび反吐が出るような思いだったが、事実は事実である。だから仕方なく、家をいつもより30分ほども早く出た。
手袋をし襟をたて外に出てみれば、そこにはまだ誰も足を踏み入れていないらしく美しく積もったままの雪の道が残っている。少し躊躇ってからそこに足を踏み出せば、さく、さくと歩く度に新雪が踏み潰されて音を立てた。この音も美しいものだな、と思いながら、私は雪の中を一人きりで歩く。塩の結晶のようだ、なんて思いながら誰にも侵されることなく白を保っていた雪を一人崩していく。高校生にもなってくだらないが、それは実に面白い遊びだった。
己の学校の校舎が見えるまでは歩きながら一人でそんなことをしていたが、学校へ着いてしまえば私はただのやんちゃな生徒でしかない。不良である。校庭で、ましてや誰に見られるともわからないような場所で不良の生徒がそんなことをするわけにはいかぬ。ここまで来ておいて今更何を、と自分でも思ったが、私は誰かの前ではかっこつけでいたかったのだ(誰かとは誰なのかよくわからないが)。だから学校へ着く前の、人通りが多くなるような場所へ出た途端その遊びをぴたりとやめた。そしてそのまま、いかにも“それらしい”態度で、学校へと向かうことにした。
学校に着いてすぐ、職員室の担任から日誌をもらい、「よくこんな早く来れたな」なんて言葉をいただいた(当時の私からしてみればそれは遅刻常習犯であった私を馬鹿にされたとしか感じられなかったのだが、もしかしたら担任はよくできたなと私を褒めるつもりだったのかもしれない)が、なんと返せばよいかわからぬのでそれをそのまま聞き流してそこを出る。職員室を出てすぐに襲われた寒さに思わず舌打ちが出たが、それよかしいんと静まりかえった校舎内が、いつもと全く違う場所のようで恐ろしかったので、それを振り切るように、老朽化が進んで端を歩くたびにぎしぎしと鳴る階段を駆け上り、すぐさま4階にあった自分の教室へと向かった。
こんなに早くきたのははじめてかもしれない、と思いながら中に入ろうとして、誰かがいること気付く。こんな時間にいるなんでおかしなやつだ、誰だろうかと思いながら引き戸を開ければ、がらがらという音に振り返ったひとは件の青年、不思議な雰囲気をもつ彼だった。不審者かと思っていただけに拍子抜けである。
「何してるの」
その姿を見て思わず声が出た。
こんな朝早くに何してる、というよりはこんな朝早くに何故ここにいる、といった意味合いのほうが強かったのだが、彼はそれに気付かなかったらしくにこやかに答えた。
「生物の予習。おれ、この間休んだしその前も休んだからよくわかんなくって」
私はそのときはじめて彼の一人称がおれであることを知った。また、彼がそんなに授業に出ていなかったことも、改めて知った(彼は頭がよかったから、学校にいないというイメージはあれど授業に出ていないというイメージはそんなになかったのである)。彼はやっぱり変なひとだと思い、何故朝早くからここにいたのかと問いただす気も削がれた私は、彼と少し会話してみることにした。
思うと、これが入学してからはじめての彼との接触だった。
「今は、どこをやってるの」
「ここ、……えっと、生物の発生のとこ。名前を覚えてるんだ。セキサクとか」
「セキサク?」
「そ、脊索」
彼は、セキサクは不思議だね、と繰り返したのち、またもにこやかに、だが今度はたった今覚えたばかりであろう生物用語について語り出した。内胚葉がどうたら、外胚葉がどうたらとよくわからない単語の羅列の波にのまれて何がなんだかわからなくなった私は、彼をそのままにして一人もう一度セキサクと口に出してみる。セキサク。そんな名前、はじめて聞いた気がした。授業でそんなことやっただろうか、と少し考えてから、そういえば私は生物の授業中に寝てばかりだったな、と思い出す。くだらない教師の授業に付き合うよりも、あとから自分で勉強したほうができるのだからとだいたいの授業は寝てばかりだったが、なるほど、最近はそんなことをしているのか。一人納得していると、彼は思い出したようにぼそりと呟く。
「脊索って不思議だよねぇ」
それはさっき聞いた、と文句を言おうとすれば、彼の目は私ではなくどこか遠くを見るようなものだった。その様子がつい気になって何がどう不思議なのだと聞き返すと、彼はそれこそ驚いたような顔をしてこちらを見る。何のつもりかと睨み返すと、彼はくすくすと笑って「ごめん、独り言のつもりだったんだ」と言った(私がそのような問いに答えるとは思っていなかったのかもしれない)。失礼なやつ、やっぱり変なやつだと思ったが、このまま流されては彼の中の私はただの阿呆かおかしなやつで終わってしまう。そんなの許せない。だから、仕方なしに仕切り直すようにして何が不思議なんだともう一度問うた。彼は今度こそゆっくりと息を吐いたあと、その質問に答えはじめる。
「脊索はね、体の中で大事な役目を担ってるはずなのに、発生の途中で消えちゃうんだよ。消えるって表現はおかしいかもしれないけど、教科書なんかじゃ脊索は表現上なくなって脊椎というのに置き換わる。ナメクジウオとか、いわゆる下等な脊椎動物は成長してからもあるみたいだけど……、僕たちみたいな脊椎動物じゃあ、脊索は脊椎に置き換わるから消えてしまうんだ」
「それが不思議だと?」
「うん。不思議でしょ。おれも脊索みたく支えるだけ支えて消える運命だし」
「は?」
「ううん、なんでもない。やっぱいいや」
言いたいだけ言っておいてなんなんだ、何か言いたいのならはっきりしてくれないか、と言うと、彼は伏し目がちに笑って「君には知る必要のないことだよ」と答える。距離をおかれた、というより、単純に私には話したくないことのようだった。それも仕方ないか、はじめて話した、しかも私のような人間には話したくないことなんだろう、と深く詮索することを諦め、会話を切り上げることにして黙りこめば、彼は一瞬泣きそうな顔をしてこちらを見たような気がする。だが、それ以上話す話題も見つからなかったので、彼の視線はそのままに私は一人椅子に座って本を読むことにした。普段は読書などしないし本も持ってもいないのだが、幸運にもその日はたまたま鞄の中に入れたままにしていたのだ。よかったな、と思うままにページを読み進めていくうち、彼は私とそれ以上話すことを諦めたようだった。
次の日私は、遅れていった学校で彼が転校したことを知った。
目立たない優等生が消えたところで、我がクラスは大して変わることもなかった。ああ、一人いなくなったな。それくらいの認識である。だが私としては、私と話した翌日に転校されてしまってはひどく居心地が悪く感じられもしたし、奇妙な話をされたまま転校されてはいてもたってもいられなくなった。なあ、どうしてあいつ転校したんだ。そう周りに聞き回れば、誰かがぼそぼそと「親に聞いたんだけどな、」とそのいきさつを話し出した。目立つタイプの人間に聞かれると話さねばならないという強い思い込みのせいもあるのだろうが、実際は誰かに話したくてならなかったのだろう。
その誰かが話した内容によると、彼はどうやら親戚の元に引き取られたらしかった。両親が離婚し父方に引き取られたはよいが、父の再婚と共に新しい母に疎まれるようになり、だから仕方なく親戚の元に送られたのだという。人事ながら、不憫にもほどがある話だ。
必要とされていたはずなのに、役目を終えてからは消えてしまうなど、実に寂しいものだ、……そう思ってから、私は彼が言っていた言葉を思い出してはっとした。
彼が言っていた支えるだけ支えて、とは、父を支えていたことではないのか。
脊索みたい、とは、父を支えるだけ支えて消えることになった自分自身のことではなかったのか。
「……まるで脊索のような、」
「え?何、」
「ごめん、なんでもない」
思わず口に出したせいで周りに何を言ってるんだと言われたが、つまり、彼が異常なまでに脊索に執着していたのはそういうわけだったのだろう。
私が出会った不思議な雰囲気の青年。彼はそのあとも、脊索のように何かに置き換えられるような人生を歩かされたまま、その道を歩んでいったのかもしれない。
今はいったいどこで何をしているのか、それを知るものは誰もいなかった。
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生物の先生が「脊索なんて言葉使って小説書けるわけない」っていうから対抗してみた。ぐだぐだ感あふれるいつものノリです。