『一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らして呉れよ。』
☝地球規模で一日に十万死んでいたとしても、社会の中では正直「本日、1日で十万人死にました。」なんて、正直に統計出さないだろうし、アバウトな場所や、それこそひっそりと息絶えた人のカウントは人間にはできない。
だから、肌感覚で(世界中で、めちゃめちゃ人がなくなったな。)と感じた時がその時でいいのではないだろうか?と。個人的にはコロナはいよいよがやってきた合図だな。と。
ひふみ神示ではミロクのことを567で表現してもいるし。
『この神は世界中のみか天地のことを委(まか)されてゐる神の一柱ざから、小さいこと言ふのではないぞ』
☝この神がエネルギーのことだとして。何パターンかある神的エネルギーのうちのひとつの柱ってことかな。神様の名前には無知なので今後しらべたら理解にいたれるかな?
天と地と世界をまかされているのは、個人個人の意識もそうだ!といえばそうだろう。神(神的エネルギー)が創造した段階で神の縮図が創ったものの内に宿るはずだからなあ~。
『小さいこと言ふのではないぞ』
☝吐いた唾は自分の顔に落ちるからね。
『北から来るぞ。』
☝厳しい環境のイメージの北。
寒くて厳しい環境を耐え抜く強さがあるものが、暖かい場所に巡ってくるのは自然なのかもしれないな。極寒というわけではなくて、生活するに知恵で乗り切れるレベルの四季おりおり暮らしを営んでる人間は、当然危機感に乏しくなるから、攻めに入られたら…。
次元が争いメインの次元のままなら。やられて流転サイクルの渦にまたのみこまれてぐるぐるしそう。
身魂磨きして。本質をつかんでいれば?
その段階で次元が少し変わっているから、ひふみ神示的な啓示に触れる機会なんかも得られて…。別の脱出ルートの模索につながるかも?
実際に、北から来ることに単純におびえるのではなくて、「来るかもしれんけど、来たとて、やるべきことには変わりない」ところまで。達観していた方がどちらにしろ安全かな?
『一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には付かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。』
☝餓鬼=エゴよね。
満足できない原因???探索中は、貧乏人でも金持ちでも。表出状態は対照的で、違う現象化に見えるけど、次元・周波数帯は同じだったりする。
そのままでいると、一日一握りの米に泣いたり着る物に泣くってことだろう。
食べれない苦しみと、食べても食べても満たされない苦しみは表裏一体の気がする。
服を買えない苦しみと、買っても買っても満足しない苦しみも表裏一体の気がする。
その両方を体験するために輪廻転生でぐるぐるぐるぐるしてる気がしてやっと止まった関係上…。
エゴは、簡単に外からのお仕着せ情報に踊らされるから。興味が尽きるとエゴは自分が消えちゃうんじゃないか?と思って不安ホルモン大放出するような?よくできた仕組みです。
エゴをスルーする行為の集大成とも言えるのではないだろうか?
断食って。
ハイヤーセルフ監修のもとで断食したら理解できるけど、食べなくても、別のルートからエネルギーをチャージすれば当然人は死なない。
未来の食糧不足について騒いでいるけれど。
問題なのは、情報で不安をあおられることで、まんまと餓鬼の世に絡めとられ続けることの方な気がする。
身体が成長しきった段階の大人が一日1~1.5食の小食化したら、病気になる率も減るのにね。
というか、それ以前に太陽由来でない食品を3食くった場合・栄養素になるか?毒素になるか?さて、どっちでしょう?と考えて、毒になるなら食べない方が、身体が無駄(栄養にならない)な消化に働かされることなく休めて元気になる分お得じゃない?賢いんじゃない?と気がつく脳みそが一番賢い気がする。
そうゆう脳みそは太陽由来の食品を適度に食べていない限り働かなくなるから、支配者層的には問題ないのだろう。
大人が減らした食料の金額と医療費の合計を、子供が本当の意味で健康に育つ自然農法で育った野菜の育成に費やせばコオロギやら、昆虫やらのお命にまで手を出したりする必要ないと思うのだけど…。
餓鬼の世だと、餓鬼な自分の首を結局、餓鬼な自分で絞めてしまうのだろう…。
『欲張っていろいろ買溜めしてゐる人、気の毒が出来るぞ』
☝欲張っていろいろ買い溜めしてしまう行動の根底には、自分で自分にかけた魔法な「不安」を土台にしているから、その「不安」を「安心」に変えたいがために「買い溜め」という行動に出るのだけれど…。
宇宙の法則的には、現実を構築するのはその人間が発した周波数に基づいて現象化があとから構築される関係上、『気(周波数)の毒(不安)が出来る(現象化)ぞ』なのだろう。
『この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから、天地の元の靛の大神、くにの大神と共に、よく祀りて呉れよ。』
☝『この道に縁ある人』は、ワンネスの見解にたてば気がついて、自力でぷりずん地球人からランドリー地球人になった人かな。
ランドリー地球人になった段階で、ハイヤーセルフと意思疎通ができるようになるから、『天地の元の靛の大神』はハイヤーセルフのことで、ハイヤーセルフと意思疎通できれば自分の内面に気がつきだして身体に宿るあたりまえで不思議なエネルギー(神経の働きや自然治癒力などなど)に気がついて感謝がうまれる☞『くにの大神』の「くに」が「国」で身体に囲まれた魂な・個人を表す『国』だとしたら、『くにの大神』は自分を支えてくれてる身体にあたりまえに宿ってくれてる不思議なエネルギーの総称なのかも?感謝することで、より一層身体が軽くなるし、大切にしようとするし…。
もちろん、マクロでながめたら、本当の意味で大きい神様に守られたりする場合もあるかもしれないけれど。
ミクロで眺めた時の神さまに第一段階・本当の意味で気がつけないと、マクロの神さまにも本当の意味では気がつかないようになっている可能性がある。
エゴが強ければ、マクロの神さまの顕在した部分を利用して現世利益の享受は可能だけれども。メビウスの輪で回り続けることになるしな~。
失敗して、気がついて、ミクロの神さまを知った時にはマクロの神さまの潜在部分の懐の深さを知って、、、。自分が得ていたものが氷山の一角だったことにびっくりしたりして。
結果、どちらもあり、自分の意識の赴くままに~人生を堪能しながら体得せよ!
ってことなんだろう。愛だな~。