これは、アルコール依存症の父を持った私のお話です。拙い文章ですが、この思いが届きますように🙏


父は今年の3月まで金融業に務めていました。お酒を飲む場も多く、酒豪だったため家でも毎日のように嗜んでいました。私は幼いころから父のシラフをあまり見たことがないような気がします。父はお酒が好き、そう思って生きてきました。最初は病院に行く前ぐらいは禁酒すると、多少の休肝日を設けていました。


私が大学1年生になった時、状況は一変しました。父は病気がちで、よく入院していたのですが、その年、食道に静脈瘤が見つかりました。突然、神妙な面持ちの母に「大切な話がある」と呼び出されました。あの夏を私は一生忘れないと思います。あの日私は、父がアルコール依存症であることを告げられました。頭が真っ白になったことを覚えています。そして数秒後には涙が溢れ出していました。医学知識のない私には父をどうすることもできない。何もできない無力さに押しつぶされそうになりました。私の通っていた大学は文系で、幸い?心理学の学部がありました。次の日空きコマを使い、図書館でアルコール依存症に関する本を片っ端から読みました。どうすれば父を救えるのか、どうすれば治せるのか、少しでもいい、自分にできることはないか考えました。答えは出ませんでした。依存症を治すには、本人の強い意志が重要で、私はサポートにしかなれない。それに、父は入院中もアルコールを欲しがりました。祖母はそんな父を可哀想に思い、ノンアルのビールを持って行っていました。きっと退院してもすぐ飲んでしまうだろうなと感じました。その予感はすぐ的中しました。心が痛いのと同時に私は諦めの感情が生まれてしまいました。お酒をやめることなんて、できるはずない。飲んでてもなんとかなるんじゃないかと、軽く考えていたのだと思います。


それから時が流れ、私は大学4年生になりました。就活が始まり、いよいよ卒論もスタートしたころ、父の様態が一気に悪化しました。休日も無気力、朝からの飲酒、おぼつかない足取り、ろれつの回らない言葉、掃除しても失禁され汚れるトイレ、震える手、幾度となく聞かされる同じ話、全てが嫌で仕方がありませんでした。就活も卒論も上手くいかず、父も壊れていく、そんな日常に嫌気がさし、私は拒食症になりました。


1年後さらに病気は悪化しました。急に動けなくなり、その場で失禁することや、曜日感覚がおかしくなることなど、まるで認知症のおじいちゃんを介護しているかのような気分でした。そしてまた母に呼び出され、父が肝不全になったことを聞かされました。いつ亡くなってもおかしくないと、そんなこと急に言われたって...言葉が出てきませんでした。死ぬ...アルコール依存症で?なんでもっと早く...なんで私気付けなかったんだろう...なんで助けられなかったんだろう...また涙が溢れ出しました。助けたかった、救いたかった、私は毎日自分を責めるようになりました。私がいけなかったんだ。私が生まれなければ良かったんだとまで思いました。幸い、父は夏を乗り越えました。いつ消えてしまうか分からない日々を、私は今日も生きています。


今この文章を読んでいるあなたへ、どうか、やめられるときに1日でもいいから休肝日を作ってあげてください。今ならまだきっと間に合うはずです。あなたを大切に思う誰かのために、どうか自分を大切にしてあげてください。そんな人いないよ、、、というあなたも、私はあなたが大切です。これをもし読んでくれているのなら、私の思いをどうか受け取ってくれませんか?この世界の人々がアルコールに支配されない人生でありますように。