今年の2月に退院した息子は
毎日笑顔で私たち家族と暮らしている。
来年春まで続く、自宅での抗がん剤の内服
はあるが、ステロイドで浮腫んだ輪郭も
殆ど元に戻り、入院治療で抜け落ちた髪も
元通りに生え切った。
しかし、息子は今だに上手に歩く事が
できず松葉杖で生活をしている。
走る事、大好きな野球への復帰は出来て
いない。
再発の不安に私たちはしばしば襲われる。
それでも息子はいつも笑っている。
まだ6年生なのに、妙に大人びた事を
語り出したりもする。
私たち家族を心配しているのが
伝わってくる。
私の心は息子の発病と同時に一度壊れた。
人生の地面が崩れたような感覚だった。
自分の命よりも大切な息子の命が脅かされる
という恐怖、理不尽さ、先の見えない不安。
そのひび割れた私の心は今でも膿を持って
いてじゅくじゅくと鈍い痛みを伴う。
退院してからも私は、寝室で眠る
息子の寝顔を見ながら
何度も眠れない夜を過ごしてきた。
そして昨夜はどうしても苦しかった。
得体の知れない不安に苛まれ、
全く眠れない。
その時ふと、ある光景が浮かんだ。
窓のない真っ白な部屋。
その真ん中にひび割れた花瓶が一つ。
その花瓶には金継ぎがしてあり、
ひび割れの隙間から静かに光が
漏れ出している。
そしてそこには小さな赤い花が生けてある。
音はない。完全な静寂。
そしてその部屋には、
亡くなった母、
いつも優しく見守ってくれる姉、
愛する息子と娘、
喧嘩別れした弟、
みんなの魂が浮遊している。
魂に色はなく、真っ白いその部屋に
家族の気配だけがうかがえる。
そこは私の心の中の宇宙だった。
その花瓶は私の心で、
ひび割れに施された美しい金継ぎと
ここまで生きてきた事を証明するような
小さく燃える赤い花。
肉体はそこにはないが、
確かにそれは、私だった。
不安や孤独から完全に守られた聖域。
「大丈夫。あなたは守られている」
そんな声が聞こえた。
