過去5月ぐらいに及ぶ日本語の授業のなかで、私が最もエキサイティングだと思ったのは、一対一の毎週火曜日のときに授業した「宮崎先生の日本語作文」の講義であった。あの授業が私の日本語能力を大きな変えたといっても過言ではない。
 日本に到着前に、多くの日本語は自分で勉強した。中国で日本語を勉強する方法は言うまでもなく、中国語で日本語の知識を説明する。日本語の使う機会は少なかった。初めて外国へ勉強して、さらに、日本語専門ではない私は、自分の日本語は心配した。しかし、金沢大学に、5月ぐらい日本語授業、特に、宮崎先生の指導後、徐々に、自信を作りました。学生として初めてとった日本語の講義に自分が覚えた心配と興奮をいくらかでも伝えることが出来ればと思って、最後の感想を書くことにした。
 私は夕食のときに好んで政策講義を交わすような家庭で育つた。大学時国際経済について勉強した。社会の諸問題に対する様々な解決策の長所と短所が熱い議論の種となった。地理的には、中国と日本とても近い国である。そして、中国の時、家には両親と中国と日本の政治や経済などよく議論した。さらに、学校にはクラスメートたちはよく議論した。しかし、政治があいまいで、漠然としていて主観的なものに思えた。さらに、言語と文化の相違は、整然としていて客観的に分析は少ながった。政治について紛争や議論にはきりがないが時に、私もう日本へ留学した。
 宮崎先生の作文授業は、私に対して、第一の感想は、日本語の考え方へと私の目をあかせた。外国語の勉強は最も難しい問題は外国人らしい考え方である。中国語と日本語は漢字を共用する。しかし、文法的にはお多くの相違点がある。時々、私の作文のなかで、自国語からの影響が与えられる。例えた、「蟻族」というの作文練習なかで、「の」の幾つが間違いました。日本語には「何々こと」よく使う。その前に、私は気をつけませんでした。例えは、蟻族の定義は収入不十分の若者のことである。外国人に対して、日本人らしい日本語話せば、短い時間で難しいたろう。
 第二に、色々話題がある。私の考えは、作文の前に、必ず十分の輸入が必要不可欠である。その輸入は色々話題について資料を読むことである。外国語の勉強対象は社会。即ち生きていくうえで人々がどのように言葉を話している。人々が互いにどのように影響しあっているのか、ということである。もしも、輸入がありません、輸出もないと思う。色々資料を読んて、その話題に対する、自分の見方をもっているが、日本語で討論する。そして、作文の役立つは直接輸出だけではなく、色々なプロセスがある。その後、外国語の読解力、作文、話すことも一緒に練習出来る。
 第三に、少し意見がある。もしも、その授業のなかで、NHKや日本語ドラマなど採用すれば、よりよりでしょう?短いNHKニュースや聴解材料など使われば、その話題について作文を書くことであれば、よりよりと思う。
 概して、宮崎先生の授業後、私は色々勉強になりました。誠にありがとうございました。