★前提という言い訳
かなり個人的な経験や性格や趣味性癖による主観モリモリになっている。解釈違い絶対殺すマンに怯えながら投稿しつつ、1人壁に向かって喋ってるつもりで書いてるのでセーフだと思いたい。
でも、受取手の数だけストーリーが生まれるのがyucatの世界の楽しいところだと思ってる!(怒られたら手のひらクルーして消す)
★言い訳終わり
ここから本編
次のストーリー仕立てライブのメインテーマに「Dr.Code」が選ばれました。会場はサンリオピューロランドのフェアリーランドシアターです。
ついにこの時が来てしまったああ…
個人的にyucatアルバムの中で最も謎が深いと思っているのが、Dr.Codeが収録されているアルバム、パラレルワールド3「七ノ起源」でした。yucatの世界の思想というか、あり方というか概念というか、そういう基盤のようなものが根付いてるのがこの3の世界のような気もしていて、すごく重要ポジション…だけれど、実はまだ深く語られていないじゃないですかこのアルバム。
パラレルワールドの聖書のような、かといって明確な答えを提示しているようではなく、むしろ哲学的な言葉を語りかけてくるこの作品。
yucatの世界像がより明確となってきたのがこのアルバムだけど、そこに描かれてる記号の意味はまだ不明瞭で、聴くたびに何かが見えるようで見えないところもあって、哲学書のような幾何学書のようなこのアルバムが私は大好きです。
その記号の一つの意味が、今回のストーリー仕立てライブでようやく語られる気がして。
楽しみ。めっちゃ楽しみ。
ただそれと同時に、ちょっと怖い!
というのも、このライブの主題ともなっている「Dr.Code」、yucatきっての闇が深い曲だと思うのです。というか、前述したように、このパラレルワールド3「七ノ起源」自体が、闇と謎が深い…。
わかるわかる。トラベラーの言いたいことはわかるよ。いや、一番暗いの、1じゃね?って。思うよね。1、めっちゃドロッドロしてるよね。1はyucatがなぜ誕生日したのか?/してしまったのか? っていうyucatという主人公の心象世界に迫ったアルバムで、彼女の心の闇が種となってできたこの世界のきっかけのお話だから確かにはちゃめちゃに暗い。闇の質もいっちばん重くてドロッドロしてる。片栗粉入れた墨汁かのごとく。イメージイラストやジャケットもモノクロでゴシックな世界だし、歌詞だって、死にたければ死ねばいい、痛みしか信じない、でもこの手が凶器になるのも怖い、なんなら死刑台送りにしてやろうか?くらい言ってるんですよ(※個人の解釈が含まれています)
でもね、そんな重っくるしい闇の中で、めっちゃジタバタしてるんですよ。僕を止めて助けてって言ってるし、世界を変えたいって言ってるし、ここじゃなければどこだって良いって、なんとか光の方へ手を伸ばそうとやみくもに、がむしゃらになってる一面もあるの。「強烈な闇は光となる」。このパラレルワールド1には、きっかけは闇であれ、まだ救いの可能性があるんですよ。
3に話を戻します。
3は、そんなyucatが、パラレルワールドの仲間達とのやりとりを経て(ここは2ですね)最初に降り立った島の話。最初の冒険の話です。ジャケットにはガスマスクのような鎧の人型の何かが、鉄屑の山の上からこちらを見ていて、後ろには工場が並びもくもくと排気ガスを出していて、そんな排気ガスで濁る空の中に脳みそのような形をした巨大な樹がのびている、酷く荒廃した世界が描かれています。荒野です。間違いなく太陽の光をずっと浴びてないだろう、荒野です。深刻な環境問題が起きている荒野であります。
そんなイメージイラストを掲げたパラレルワールド3「七ノ起源」の一曲目、この世界の導入に置かれた曲がDr.Codeなわけです。正直、初めて聴いた時、yucatがデビューして以来一の衝撃を受けました。
この曲、救いなくない?
そう思った経緯を整理しよう。
「助けてDr…」という叫びから始まり、Aメロ続く歌詞はこうです。
「ある日突然家から出れなくなった
ゲームをしたりテレビを見たり どうにかして1日が過ぎるのを待ってる
気づけば年だけを重ね もう取り返しがつかない気がした」
yucatと出会い、パラレルワールドの仲間達と出会い、さあ冒険が始まると待ち受けていた先にあったのは、あまりにも私たちにとって「現実的すぎる問題」の提示でした。
そう、これ、引きこもりニートの現代社会クズ人間の歌にしか聴こえないんです。
ブラックファンタジーの世界が待ちわびてるかと思った矢先の話です。
いや、私だって、推しの曲に対して「クズの歌やんけ」なんて言いにくいですよ。どんな内容だろうと、それを歌ってるのはゆかさんです。
しかしこのDr.Code、クズ人間に対して、あまりに歌詞が刺さりすぎる。
「あの友達はもう僕のことなんか忘れてしまっただろう」という社会への疎外感。「人の声も視線も絡みつくんだ窓に映る自分でさえ」という外出への恐怖感。腐らせるほどあった時間の中で、自分では何もしてこなかったくせに「僕はまだ終わっちゃいない」という、傲慢で虚しすぎる諦めへの抵抗。
鬱だし脳。
…あまりにもリアルすぎるんですよ。何もしない時間を家に篭ってすごしていた経験を持つ身としては。(個人的な話ですが、Dr.Codeの発売日を見てみると、ようやく内定が決まり就職してほぼ1ヶ月経った頃でした。どうでもいい話です)
こういうタイプの人間、ゆかさんとは一番無縁だと思う(なんせ高校生から歌手として精力的に働いている)のだけど、近くにそういうモデルケースがあったのかなあ…と思うくらい…。
そんな主人公の僕は、ネットである噂を見つけます。「Dr.Code」という、触れるだけでどんな病気も治してくれる名医がいるというのです。自分のこの状態は病気だと思い切り他責的なのもわかりみのあるクズだなあ…(※ここに関してはサビで躁!鬱!躁!鬱!といってるところからもしや本当に精神疾患だった?という説も浮かびましたがひとまずただの引きこもりとして話を進めたいと思います。)
なんとか最後の希望を見つけた僕。よかった、これで救われる~~~~~!
と思ったが。
救われないんだよなあ・・・・(絶望の丘に立ち尽くす)
「気づくとベッドの上 身体中に細い管が刺さっていて 眩い光の奥 鉄の塊が蠢いていて」
どう見ても不穏な“治療”シーンのあと、あれ?何?やだやだ… と僕は錯乱していき、「僕に、何をした… !ドクターコードオオ!!」と最期のDr.Codeへの怒りの叫びで、僕の治療”は終了します。
そのまま無念の僕の想いを力なく歌い、ラスト勢いの良いサビで「どうすればよかったの?」という僕の叫びを歌い、この曲は終えます。
Q.パラレルワールドに助けを求めに来た僕は救われたのか?
A.救われなかった。
この自問自答をした時、「パラレルワールドに拒絶された人」という初めてのパターンを見せられ、脳が混乱したのを覚えています。そうなんだ…パラレルワールドって誰でもなんでも無条件に思いのままの結論をくれる場所という夢の世界ではないんだ…。わかってたことじゃん…生きることは戦いだって、言ってたじゃん…。
拒絶は言い過ぎじゃないか?と言われるかもしれませんが、受け入れられなかったことは間違いないと思います。
このアルバム「七ノ起源」はとても哲学的な思考がベーステーマになっております。実際、エピソードの解説に、ソクラテスの言葉が引用されていたり、知識を取り入れること、知ること、学ぶ事の重要性を語っています。
それは主人公のyucat自身が、あの時このことを知っていれば… という知らなかったから策がわからず解決へと至れなかった後悔の経験がベースになっているように思います。誰しもが生きてて一度は感じたことのある経験ですな。
それは最新アルバムに入っている「サクラサイエンス」の、「教えて 教えて 知らなくちゃ 知らなくちゃ もう間違えたくない」という歌詞にも現れています。彼女にとって知らなかったことは大切な物を失うことへの恐れとなり、そのような間違いを犯さないための最大の武器は「知識・知恵」を蓄えることだったのではないでしょうか。
そこに暗闇はなく、無知があるのみ。
と、シェイクスピアの言葉の引用もあり、この世界で無知がいかに悲しい結末を生むもので、知識をつけることこそ光であるかがわかります。
このアルバムの最後の曲、「全知全能ノ樹」はまさにその答えです。知るということが、救いであり光であるのがこの世界の理でした。
「知る」という言葉は、このパラレルワールドで、少なくともエピソード3ではかなりキーになる言葉で、このエピソードを救いへ導く言葉なのです。
しかし、ですよ。ここでいったん、Dr.Codeに戻りますね。
主人公の僕の、引きこもり生活をしている描写。一番のBメロの歌詞です。
「1つまた1つと頭を蝕む知恵だけが増えていく」
頭を蝕む知恵。
そう、僕はこの世界で救いとなるはずの、知恵に苦しんでいるんです…。
無知は罪だとすら言いきるこの世界で、知恵に苦しむ僕。
救いどこ????????????
おそらく、僕はひたすらネットを見ていろんなことを知った気になっている典型的な現代あるあるネットクズです。
SNS、匿名巨大掲示板、ブログなどで偏った根拠のない知識をつけて自分が大きい存在かのように振る舞うタイプの典型的な現代クズです…ね…。こちらももうだいぶ心が満身創痍です。
でも、Dr.Codeを知ったきっかけも歌詞にあるようにネットなのであながちそんなにずれてはいないと思います。よくできた歌だなあ…(うずくまる)
この曲の一番の謎はこれだと思います。
「Dr.Codeがしていることは、救いなのか、破壊なのか」。公式でも提示されている一文ですね。
そして、最後にこう添えられています。「命を大切にしないものには制裁を」。
結果、僕はどうなったのか。
私がこの曲の最後のフレーズを聴いた時思い浮かんだ景色は、没個性化した機械的な笑顔と死んだ目を顔に貼り付け、スーツ姿でオフィス街で立ち尽くす僕の姿でした。
僕が欲しかったのは、嫌なことをしなくていい現実から逃避する場所です。
ここ最近やけに増えた、現実社会で生きる主人公が異世界RPGのような場所に飛ばされそこで生きることになるライトノベルやアニメ。会社に行きたくない、学校に行きたくない、ここから逃げたいという、自分の現実を変えようとする具体的解決策を考えることすら放棄した、逃避思考に塗れた私たち現代人の習性が生み出した風潮。
Dr.Codeが与えたのは、どんなに辛くても、ギリギリのところで壊れ切らない精神。壊れないから、どんなに嫌なことで憂鬱な気分になっても、現実で与えられた義務(この国の場合労働)を果たさなければなりません。
僕のメンタルは晴れることなく、かといって壊れ切ることもなく、ギリギリのところで、みんなと同じように、現実社会を生きなければいけなくなった。
せめて壊れることさえできれば、嫌な現実から逃げることも許されたのに。
どんなにネットで知識を入れようと、問題から目を背け、今を変えようとしない僕は、知ることが光のパラレルワールドで生きていけないのは自然の理なのかもしれません。
感情のないロボットのように働けるようになった僕。Dr.Codeの治療は、パラレルワールドから観れば破壊であり、現実社会で生きる我々にとっては治療なのかもしれない。
こうして僕は、自分に嘘をつきながら就職活動を始めることになる。それはさながらジャケットに描かれている、ピノキオのような様で…。
ヒーー!!!
どうみても、当時の自分の状況や心情が影響しまくりのこの考察(になっているかどうかも怪しい)…救いようがない色々と。
しかしこのDr.Codeの次に収録されてる曲が、人型ボックスを作る工場の歌なのもまた…。
巡り巡って、サクラサイエンスという曲で、再び歌詞にドクターという言葉が出てくるのはやはり無関係とは言い切れないようです(ご本人ツイッターより)
「この国は今病気だから」で始まるこの曲。
一体、この世界が、yucatの目にどう映り、そこからどのような救いを見つけてくれるのか、はたまたここには救いがないと思うのか。
Dr.Codeの曲でいたるところに鳴っている、RPGゲームを連想するピコーン(コインとる時の音)という音。曲の最後、この音で終わるのも、皮肉に聞こえてしまう…。人生はクソゲーってことなのかい、僕よ…。
ストーリーの着地が今までで一番見えない、今回のストーリー仕立てライブ「Dr.Codeノ策略」。
私のダークサイド思考じゃ、僕をハッピーエンドにどうしてもさせてあげることができない…。
いや、でも、ハッピーエンドって一つじゃないし。
光の在り方は一つじゃないし。
救われないことが救いとなる最高のハッピーエンドも大好きです(ハッピーとは???)
この闇深々しいストーリーを、ピューロランドというファンシーなステージでやると果たしてどうなるのかも見どころだなあ。
答えが一つ提示される。
それそのものが、この世界の救いなのかもしれません。
好き勝手言い放題しましたが、非常に楽しみです!
(2/23現在追記)
助けてドクター~!!!!
どうか、どうか、みんな安全にライブが観れますように!!!!
#yucat
