こんにちはニコニコ


今日も沢山のブログの中からお立ち寄りくださりありがとうございます!



前回のブログの中で母の話になって


病院の待ち時間で

色々自分の半世紀を見つめ直し


懐かしい子供の頃を思い出し

どこで人生をまちがって

今の自分になってるんだ

これからはどこへ向かうのが

自分にとって幸せなのか



母のように
いるだけでオーラがあり✨🌈✨
元気を与えられる
そんな存在になれたらな


母は父といると
いつも愚痴ばかりですが
細かい事に気づく母には
気にしないタイプの父の事が目に余るんでしょうが
夫婦喧嘩は絶えないけど

釣り合ってるのだなと思います照れ


母はいつも愛情深く
いつも周りの人や動物、花や虫
ぬいぐるみや遺影など
いつでもどこでも会えば会話し


いいことも悪いことも
こうゆうものだよと事あるごとに教えてくれ
過保護なくらい
先々安心の種を撒いてくれていて

70後半に差し掛かっても
一人でお店と趣味の家庭菜園で
毎日が忙しく動き回り

朝早くから夜遅くまで働き続けてます

会えば文句ばかり言ってるけど
かわいい孫のために
私達(は可愛くない)
の為に頑張ってると

決して素敵なキラキラしたお店ではありません
地味で色気もない、
傍から見たら
やってるのかやってないのか?
シャッター開いてるからやってるのか
って感じのお店です


大袈裟に言うと
物より母が売り物のよう😂


私の子供頃、周りにお店もなく
全盛期はホントに忙しく
タバコ、ジュース、お菓子、文房具、アイス、写真受付、郵便物受付、学校の体操服、名札、上履き、お弁当など
生もの以外は、生活に必要な物を扱ってる地域の何でも屋でした。

学生だった私も店番して手伝ってました
朝9時からから夜遅くまで開けて
近所の顔でした


母はいつでも朗らかで元気で、
陽のエネルギー持ってるので
お客さんを一度心を掴んだら放しません


だから、目の前にセブンイレブンができた時も
そのお客さんを自分のものにするほど
ガッチリ前向きに頑張ってきたおかげで
セブンイレブンが潰れても健在です!


もう40年かな、、凄い人だなーって思います


今は近くにスーパーができて
新しい道路も出来、お客さんの流れも変わって
だいぶ商品を減らして、
年相応にあった客数で
マイペースに店をやってます

若くてバリバリ動ける時に稼げるだけ稼いで
老後はゆったりと小遣い程度に働ける
なんとも羨ましい

いや、私達の知らない苦労は沢山してるようですがね


そんな母を子供の頃から身近に見てきた私は
将来母のように商売人が向いてると思ってましたし

店番しながら雑誌を読んでは
夕飯作りを手伝ったり
高校生になると
自分でお弁当を作ったりしてました


物を売るのが好き、
お客さんに喜んでもらうことが好き
料理も好き
掃除も好き



だけど、両親は自営業が決してラクなことではないこと、🙅
お母さんはたまたまラッキーで運が良かったんだ
お母さんの代で閉めるのと言い
娘たちに店を引き継がせようとは考えておりません


元々薬局だった店を譲り受け
薬の資格など持っていない母は
薬以外の商品をそのまままるっと引き継ぎ
商売をしてたので


薬局の方が将来安泰だろうと
子供には薬剤師になったら?と
進路で迷っていた思春期の頃の私達に
提案はしてきました


ですが、田舎から出てきた母は
当時はどうしたらその道に行けるのか
十分な情報もなく
(そんな調べる暇などなかったのでしょう)


薬の大学を受ければいい程度で
薬科大学がどこにあるのかも
入学するのにはどうしたらいいのか
知りもしなかったようです


今ならどんな学校で、どんな科目を選択したら
薬剤師になれるか、学力がどの程度なきゃいけないかわかりますが
高校に入れれば
どんな大学も受験できると思っていたんじゃないですかね


子供の成績は気にはしていたけど
部活が楽しくて、友達と恋愛話して
それほど成績も良くなかった私達には
薬剤師になるなんて
医者同様、到底難しいってことは薄々わかってました


とにかく地元の中学校はレベルの低い中学校でしたから
(先輩は窓ガラス割ったり、校庭バイクブンブン乗り回すヤンキーのいた学校でした)

姉は勉強嫌いでしたし 
母親泣かせで
母も一緒に勉強教え

大学まで家庭教師探しに足を運び
それでも成績上がらず
結局母の方がわかりやすいと母が教える始末

母の方がわかりやすいと
家庭教師はやめ
結局地元のそこそこの女子校へ


ただ高校なんて、近くて
そこそこのレベルで
よほど程度の低い学校でなければ
入れれば良いという感覚ていいでしたね



中学生の頃なんて
家と店と学校、部活の毎日でしたから
每日その日を楽しく生きてきたので
将来何になりたいとも夢も無かったです



私は姉を見ていたのもあって
勉強はコツコツ出来る子でした
成績著しく悪いわけではなかったけど、
好きな教科と嫌いな教科の差はありました 

一生懸命勉強しても希望の高校の偏差値まで
のばすことは難しく、
結局安全に、推薦で姉と同じ高校へ行くことにしました


高校生になったらなったで一安心かと思えば
今度は進路のことばかり
2年生に進級するのに
1年の時点で
進学コースか就職コースを選ばなければなりません

理数系と文系ならともかく

私の高校は
文系か就職の2択しかありませんでした

そもそも高校の内容よく知らないで入ったので
進学するのに文系しか目指せないなんて知りませんでした


なので、母がいくら薬剤師になれば?
と言おうとも、
そもそもの進路が絶たれてしまった状態でした


そんな基礎学力も
薬剤師になど意識してこなかった私達

姉は母も一緒になって探した薬の専門学校へ



私はというと、姉を見て
高校で勉強頑張るも
そもそも理系用の勉強がない学校なので、
理系大学への受験をどうしたら良いのかわからず
必死に無い頭を捻らせ、


2年生の進路は就職コースを選び
予備校を探して予備校に行かせてもらい
独自に勉強をするという選択に至りました


受験科目の高校の先生を放課後呼び止め、
英語、数学、理科の先生を每日つかまえ、
予備校の問題を一緒に
教えてもらってました


ですが、予備校では集団でしたから
元々わからない苦手な科目を
どこがわからないのか
わからないまま進むし

教えてもらっても、良くわからない日々でした


受験したけど、案の定落ちまして、、、
姉と同じ専門学校へ進むことにしました



せっかく学ぶ気持ちはマックスあったのに
私のレベルに合わせて
どこが苦手でどうしたらわかるようになるのかと、個別に指導してくれる先生に巡り会いたかったなと思います

浪人した所で、独自の勉強法で合格できたかといえばできなかったかもしれないけれど、

薬科大学行ってたら、人生随分変わったよね 

と、後悔ばかりです


だから、子供達には私のように後悔してもらいたくなくて
小さい頃から色んな可能性を最大限に引き伸ばしてあげたいと
色々お稽古習わせ、塾なら個別指導を選びました


長女は、運動神経が良く絵本はあまり好きではない
次女は自由人で教えてもらうことより自分の好きなように、絵を描いたり、絵本を読んでもらうの好き


同じ両親から生まれてくるのに、
顔も性格も違うのが不思議ですね

幅広く選択の出来る大学を受験できるよう
下調べをして、
小学校から受験させたかったけど
本人の性格に合ってないなと諦めたり

地元の中学も、私の頃のようにあまり評判のいい学校ではないの知ってたので
中学受験させようと、塾へ行かせてみても
ことごとく嫌がられ
(実際ひねくれた問題を出す先生ばかりで苦労しました)

人生の選択で最終段階と思ってる高校受験だけは、私の経験上、絶対狂わせたくなかったので
勉強嫌いの長女とは、受験期は怒涛の日々でしたムキー

我が子を見てると、私の姉妹を見ているような感覚になることが多かったです

長女は姉を見ているようで
次女は私のよう

まるでまた自分の人生を繰り返しているようです

職場の人間は自分と似た人もいるし
自分の移し鏡のようだな
っていつも客観的に重ねて見る自分がいます

面白いなって思います

ただ、私のようになりたくない、

と、娘たちは言います😂

は?

結婚も子育ても魅力的に映ってないんでしょうね。

私の苦労、何も知らないくせに。。。

この話は長くなりそうなので、またの機会に!