■ 私がずっと抱き続けてきた疑問
年の瀬が近づき,
令和7年もまもなく終わり。
皆様にとってこの1年は
どのような年だったでしょうか。
さて今回は久しぶりの投稿。
今年最後の投稿になると思います。
そこで今日は私がこの1年,
感じ続けてきた疑問について
考えたこと,調べたことを
書いてみたいと思います。
その疑問というのがコチラ。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
美しい純女さんを見る方が
よほど目の保養になるはずなのに
女装ブログに惹かれる男性が
多いのはなぜか。
“美しさ”という点で考えれば
女装者が純女さんを越えることは
かなり難しいと思います。
実際,いろいろな
女装ブログの画像を見ても
純女さんに匹敵する美しい姿を
目にすることはほとんどありません。
なのにそうした姿を好み
肯定的なコメントを寄せる人が
数多くいるという事実。
しかも完成された美しい女装より
男性的な雰囲気の残る拙い姿の方が
好まれる風潮さえ感じられます。
こうした状況の背景には
どのような価値観が
存在しているのでしょうか。
単なる“目の保養”という
観点では理解できない何かが
そこにはあります。
一般的な“美醜”の
概念を超えた何かです。
その辺りを今日は
深掘りしてみたいと思います。
今回も長文(約3,500文字)になりますが
最後までお付き合頂ければ幸いです。
■ 美醜を超えて共有される新しい価値観
インターネットの世界では、
多様な価値観が共有されています。
その中でも女装ブログの世界は、
他にはない独特の雰囲気を持った
コミュニティと言えます。
そうしたブログを
外部から客観的な眼で
眺める男性にとっては、
「わざわざ女装姿など見なくても
美しい純女を見た方がいいのでは?」
と感じられることが
多いのではないでしょうか。
不自然なほど濃いメイクや
男性的妄想で作られたコーデに
強い違和感を覚える男性も
多いと思います。
しかし女装ブログには
熱心で優しい読者が集まり、
温かいコメントのやりとりが
日々行なわれています。
美しさの面では到底
純女さんに敵わない女装者に
なぜ一部の男性たちは憧れを
感じるのでしょうか。
そこでは単なる
他の世界には見られない
独特の心理的な交流が
展開されています。
「美しいかどうか」という
審美的な視点を超えた価値観が
共有されているのです。
そうした価値観とは
いったい何でしょうか。
■ 女装者と読者が築く相互承認の関係
特に注目すべきは
投稿者の“承認欲求”と
それを満たしてくれる読者との
“相互承認”の構造です。
“女装”という行為は
一般の社会規範から外れる
側面を持っています。
LGBTQへの許容度が
高まった現代社会においても
女装者は“変わり者”として
見られる傾向があります。
そのため女装者の心は
非常に不安定で
傷つきやすく繊細です。
そのため
女装愛好家にとっては
第三者からの強い肯定が
重要な支えとなります。
そうした肯定を得るため
女装者はメイクや服にこだわり
“誰かに褒められる自分”を
作り上げます。
一方,女装ブロクを見る読者も
同じ嗜好や悩みを持つ当事者として、
投稿者と価値観を共有しています。
読者の多くは
女装する勇気はないものの
そうしたいという気持ちを
強く持っています。
そのため
自分にはできないことを
日々実践している女装者を
強く応援したいのです。
こうして
女装者と読者との間に
相互承認の関係が成立します。
世間からは奇異の目で
見られがちな自分の姿を
認めてほしいと願う投稿者。
そうした願いを素直に受け止め
積極的に肯定しようとする読者。
こうして両者の願いは
しっかりと合致するのです。
■ 世間的な美醜の基準が意味を持たない世界
こうした雰囲気の中では
世間的な美醜の基準は
さほど意味を持たなくなります。
かつては
「どれだけ女性に見えるか」
という“パス度”が
女装の最大の評価軸でした。
しかし誰もが
完璧を目指せるわけでは
ありません。
身長や体型,顔形など
生まれ持った制約というのが
どうしても存在します。
そこで生まれたのが
“結果”よりも”過程”を
大切にする価値観です。
「たとえ未完成でも
挑戦し続けることが美しい」
「日々努力し,継続している
その姿こそが尊い」
「自分にできないことを
実践している姿が美しい」
こうした価値観が
大きな意味を持つように
なります。
美醜そのものより
「誠実さ」や「継続性」が
評価される世界です。
毎日更新されている
女装ブログが多いことからも
そのことが伺えます。
こうしたブログには
多くの“固定読者”がおり,
毎回コメントを寄せることで
その継続性を共有しています。
また投稿者の自撮り画は
単なる「写真」を越えた
「生き方の象徴」として
読者に受け止められます。
その容姿が世間的には
美しいと言えないレベルでも
「真摯な努力」が感じられれば
称賛に値するという価値観が
共有されていきます。
こうして“美醜”よりも
”生き方”に重きを置くという
価値観が生まれるのです。
■ 女装ブログが果たす“避難所”としての役割
コメントのやりとりを
何度も繰り返すことで
「わかりあえている」という
意識も強く働き始めます。
コメント欄には
肯定的な言葉が数多く並び
投稿者と読者との
強い一体感が生まれます。
閉ざされた空間の中で
称賛と共感の言葉が響き合う
エコーチェンバー空間です。
そうした雰囲気の中では
批判的な言葉を投じることは
大きなタブーとなります。
こうして
閉鎖的でありながらも
安心感の高いコミュニティが
形作られていきます。
他人から批判されることなく
安心して自分を表現できる世界が
そこには広がっています。
その結果,コミュニティは
冷たい現実の中で
自分たちを守るための
シェルターという意味合いを
持つようになります。
「男性はかくあるべし」
という常識から逃れるための
シェルターです。
現代社会で男性に求められる役割は
依然として重いものがあります。
男性的な強さや経済力に
裏付けられた社会的成功などが
その代表例でしょう。
そうした雰囲気に
生きづらさを抱える男性も
少なくありません。
その生きづらさを
昇華してくれる場所の一つが
女装ブログなのです。
■ 自分と相手を守るための大切な儀式
冒頭にも述べましたが
一般の男性にとっては
「美しい純女の方が目の保養になる」
と感じるのは自然なことです。
どこか中性的で
不自然な女装姿を見るより
美しいリアル女性の姿を見る方が
心地よく感じるのは当然です。
しかし女装ブログの読者は
女装者を“目の保養の対象”として
見ているわけではありません。
そこにあるのは
自己を模索し続ける
一人の人間の存在であり、
弱さや孤独を抱えた仲間です。
「未完成だけれど頑張っている」
「普通の男性にはできないことをしている」
「常識に縛られない生き方をしている」
そうした気持ちを共有することで、
写真は単なる“記録”という性質を超え,
コミュニティの結束を高めるための
手段になり得ます。
“美しさ“そのものよりも
その背景にある努力や継続性が
重要なファクターになる。
一般的な審美的評価とは
全く次元の異なる世界です。
こうして外部の人には奇妙に映る
「褒め合い文化」が大きな意味を
持つようになります。
それは女装ブログという
閉ざされたコミュニティーの中で
自分と相手を守るための
大切な儀式と言えるでしょう。
■ 固定観念を超えた先にある本当の自由
こうして見てみると
女装ブログの世界は
美を競う舞台というよりは
壊れやすいアイデンティティを
守り合う隠れ家とも言えます。
そこでは無条件の承認が
日常的に行なわれながら
努力と継続の物語が尊重され、
心の安全性が守られています。
外から見れば
閉鎖的な馴れ合いの場に
思えるかもしれません。
しかし内部の人々にとっては
孤独を癒やすかけがえのない
場所なのです。
そこに投稿された写真は
目の保養としての“商品”ではなく
女装者の“生きる姿”の反映です。
ブログの読者は、
そうした投稿者の姿を
「目の保養の対象としての美少女」
として見ているのではなく、
「女装という行為を通じて
自己を模索する一人の人間」
として見ているのです。
そうした意味で女装ブログは
単なる趣味の記録ではありません。
承認を求める心の叫びと、
それに応えようとする温かい手が
交差する場所なのです。
そしてそれは
現代社会に生きる多くの人が抱える
孤独の深さを静かに映し出していると
言えるのではないでしょうか。
そうした
孤独感の裏にあるのは
男と女はかくあるべしという
という固定観念です。
こうした固定観念から
完全に解放される時,
人は真の自由を手に入れることが
できるのです。
そうした自由を求めて
女装ブログを訪れる男性が
あなた自身なのかもしれません。