2024.07.07(日) 晴れ
ちょっと晴れ過ぎじゃないかと思う。
暑い。
夏って暑いよね。
もうポッピングシャワーを浴びたいくらいだ。(どういうこと?)
今日は七夕。
他力本願day。
最高。
なので今日の記事タイトルはキリンジ『ブラインドタッチの織姫』から。
一日ぐったりしてたので基本的には雑記です。
アニメ『小市民シリーズ』見ました。
まだ1話なのでこんなことをいうのは早計な気もしますが、
それでも演出なのか脚本なのか上手くいってないと感じた。
比べたくはないし比べる必要もないんだけど
どうしたって京アニ『氷菓』があり、
どうしてもそれを意識してるとしか思えなかった。
『氷菓』は個人的に過剰演出だなと思うことはあってもそれが分かりにくいとかストーリーの邪魔になるとかいうストレスはなかったけど、『小市民シリーズ』は明らかに演出が邪魔してる。
心情をインサートするのに『氷菓』はファンタジックな表現をするけど分かりにくいということはなかったのに対し『小市民シリーズ』は表現が地続きの場面なので今の川のシーンは何? と混乱してしまう。自転車で走ってたのに、何で川? これは何? 時系列どうした? みたいに場面の分かりにくさがあって、わざと分かりづらいように作ってるとしか思えなくてストレスに感じた。
こういう演出を好む人が一定数いるのは分かるけど普通に見づらいと思う。
会話も入ってこないし。
日常系でしかも登場人物が「小市民」を目指してるのだから演出なんて最小限で素朴に済ませた方が良いような気はする。
どうしても地味になってしまうからっていうのも分かるけど、原作だって最近始まったシリーズでもないし企画の段階で折り込み済みじゃないとおかしいと思うけどね。
私は怖い話が好きで怖い話は怖い話で終わって欲しいと思ってるから考察というものが好きではない。
表現に考察があるのは作者の意図がありそれを汲み取るのに必要だからまだ分かる。(それでも私はフィクションに対しても過剰な「わかってますけど」みたいな考察は苦手)。
実話は表現とは別種のものだから、それについて「こうだったんじゃないか」と思うのは勝手だけれど、考察に比重のある怪談ほど私は興ざめしてしまう。
分からないからこそ意味不明だからこそ怖いものの方が私は怖いから。
そこに理由とか原因とか因果が発生してしまうとこれは作り話でしたと言われるより冷める。
少し面白いというか興味深い話があるから例を挙げようかと思ったけど時間が掛かり過ぎるのでまた別の機会に。(でも近いうちに書きたい)
[音楽]『Hot Mess』aespa
怖い話の話をした後に感想を書くようなものでもないけど、aespaの日本デビュー盤。今まで日本語で歌わなくて良くない? と思うアーティストや曲って多かった気がするけどこれは珍しく日本語でも良かった。いつか日本語が良かったと思うような楽曲に出会いたい。ジャケットは本当にこれで良かったのか戸惑う。