4月8日(火) 晴れ(風が強い)
久しぶりの日記。
2月、3月は入院してた。
3月に退院して気がつけばもう1ヶ月近く経つ。
その間にもやることはありやることをやり過ぎてゆき、
桜も咲いて散り始めてるという。
散った花びらばかり気になる。
下ばかり向いてる日々でも「美しい」は在る。
良かった。
青い靴の爪先にコントラストで薄いピンク。
何か書きたいことも過ぎる。
留めて置けない。
私の世界から消えてしまった人たちの世界から、
きっと私も消えていて、死んでしまったもののように思う。
彼/彼女らは本当に存在していたのだろうか?
ねえ、生きてた?
本当に?
忘れてしまうという残酷と
思い出さないという優しさの間に
思い出せないという幽霊がいる。
半透明と不透明の差について。
温度感のない思い出。
あなた は どなた。
狂おしい苦しい。
好きになったものや人を嫌いになること。
でも、
嫌いになったものは好きになれない、もう2度と。
平井堅の「ポップスター」を聴いている時、
私はトナリアのルノンさんのことを思い出してる。
アイドルに造詣が浅はかなのでガチ恋という感情も感覚も定義もわからない。
ただ平井堅を信じるなら私はルノンさんに恋をしてるのかも知れない。
これが? ガチ恋?
今年はもう少しブログを更新したいと思っていたのに体たらく。
でも、今から始めたっていいでしょう。
何も始まっていないならいつ始まってもおかしくないしいつ始めたっていい。
それは今さ!
とか言って明日も病院なので日記は書いていられないだろう。
そんな言い訳を用意して毎日を生きていく。
ドラマやアニメも始まってるね。
皆様は何か面白いものに出会いましたか?
私はまだ始まってもいません。
[音楽]『まっくらいへやのうた』トナリア
とてもとても素晴らしい、とても、とっても。正直、怖い。曲の話じゃなく……いや、曲の話かも。常に最高でそれを更新し続け、ずっと最高、ずっと良い、良いの限界がないので、このまま良いの歯止めが効かず最終的に狂ってしまうんじゃないかと思うぐらい良い、だから怖い。天国や地獄というものがあってそれが地球や世界みたいなとこだったら天国や地獄にも宇宙が存在して、それを超えて突き抜けて更に高く或いは低くずっとずっと良いのだ、この曲は、そして、トナリアさんは。すごい。
目蓋を強く押した時に出来る幾何学模様のように曖昧に見える詞世界がちゃんと伝わるものへと変換されてるのはトナリアさんの4人だからであって、この解像度が高くより鮮明になって説得力を増してると思う。これは今までの曲に対してもそうなんじゃないかな。今の方が理解度が上がってると思う。成長と可能性って素晴らしいね。トナリアさん4人の存在があって、トナリアさんの4人の声で歌われ表現され紡がれるための物語だから、そこにちゃんとしたリアルが存在してる。そのことが嬉しい。息だったり命が吹き込まれるってこういうことなんだと思う、ストーリーや世界に。
今回、4人の声のバランスとアンサンブルが最高なんだけど、特にユキネさんの「まっ暗い」のとこが本当に素晴らしい。夜明け前の光を溜め込んだまっ暗さがあってこれはユキネさんの声と歌い方だから成立してる。
私は人間が大っ嫌いで、世界も壊したいくらい憎くて憎くて仕方ないんだけど、それでもトナリアさんが居て活動してる世界線で時間軸で生きてることは誇らしいし、幸せなことだと思っています。ありがとう。
きみは“居る場所”で、ぼくは“行き場所”と“生き場所”なのも詞のコントラストとして素晴らしいよね。