久しぶりに記事を書いたかと思えば、内容がドラえもん映画ではなく、クレヨンしんちゃんになってしまいました。おそらく、最初で最後でしょう。

 

さて、今回考察する「ロボとーちゃん」ですが、私の中では「オトナ帝国の逆襲」「戦国大合戦」と並ぶ傑作だと思っています。超人気Youtuber東海オンエアのてつやさんも号泣したとtwitterでつぶやいておられました。私はつい先日コロナウイルスの渦中に大学を卒業したのですが、一月末に卒業論文を提出し、時間にゆとりがありました。この時に一度「ロボとーちゃん」を観ています。そして先日、野原ひろしの声優を務めていた藤原啓治さんの逝去をきっかけに、もう一度視聴しました。これは「ロボとーちゃん」だけに言えることではないのですが、過去に観たことのある作品を時間が経ってもう一度観ると、以前は気づかなかったことに気付いたり、時にそれが大きなテーマだったりすることありますよね。今回それが起こりました。ということで、ここからは考察に入りますので、まだ視聴していない方や、結末をいまいち覚えてないからもう一度視聴したい方は読むのを控えていただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

1 先行論(Amazon prime video のレビュー紹介)について

2 視点の転換から見えたもの

3 色即是空

4 まとめ

5 おわりに

 

 

 

 

 

 

1 先行論(Amazon prime video のレビュー紹介)について

 

考察にあたり、先行研究のようなものを少々読みました。昨今思っていたのですが、Amazon prime videoの映画レビューは非常に興味深く、鋭い考察がいくつかあります。それらは飛躍したものでなく、しっかりと作中に根拠を求めた上での想像です。ゆえに説得力があります。

 

もし、自分のコピーが現れたら、自分が本物であることをどうやって証明するか。自分が本物である証拠は何か。

 

私が最も考えさせられたレビューには、このような旨の鋭い問いがありました。すなわち、この作品は「自己とは何か」というアイデンティティを問うていると。これと似たレビューがいくらか散見されました。私も「もうこれが答えじゃん」と思いました。しかし、「ロボとーちゃん」はそれだけを伝えたいのではないと思います。アイデンティティとは何かという問いと共に、人間の弱さを浮き彫りにしているのではないかと、私は考えました。

 

 

 

 

2 視点の転換から見えたもの

 

最初に観たときは、やはりクレヨンしんちゃんの映画で毎回強調されるしんのすけの家族や友人の絆がテーマで、今回は特に家族の「父親」の在り方を問いかけているのかと思いました。これは鉄拳時(金歯の老人、実はロボット)が早い段階から主張し、「ロボとーちゃん」を介して肩身の狭い父親をまとめ上げる展開において明白です。

 

二度目に観たときは単純にボーっとみてました。しかし、三度目に視点を変えて観たとき、人間の弱さなるものが読み取れるのではないかと思ったのです。野原ひろしに対する、みさえとしんのすけの二人の視点です。野原ひろしの内面と外面の変化に着目しながら確認します。便宜を図り、この視点に添って➀~➄に分けます。

 

まず、いかがわしいお店で改造され、ロボの姿になったときの二人の反応です。

しんのすけがロボットになった姿を見て喜んでいるのに対し、みさえはひろしが懸命に弁明しても頑なに認めません。ひろしの言う改造されたエステも姿を消しているので、証拠がありません。みさえはついにロボットがひろしであることを信じきれず、警察に相談します。ひろしがテレビのアンテナを直したり、芝生を刈ったりしたあたりからみさえは少しずつひろしを認めながらも、やはりその時の顔はどこかぎこちないところがあります。その夜、ひろしの料理に笑顔を見せ、前向きに考え始めた矢先、図らずもひろしのロケットパンチが家族を襲い、再び距離ができます。みさえが変わったのは、保護者同伴の幼稚園の遠足後です。こっそり遠足についていったひろしが、そこでしんのすけと友達の危機を救ったことを悟ったみさえ。ロボットになった後の振舞や今回の一件を踏まえ、内面はひろし本人であると認めるようになります。

 

次に、黒幕の陰謀によってロボとーちゃんはプログラムが書き換えられ、今までのひろしとはほぼ対照的な、厳格な父親となってしまいます。すなわち、ひろしの内面が変化します。ひろしがちゃぶ台をひっくり返した時のみさえとしんのすけの反応の差は顕著です。みさえがただ恐怖しひろしに跪いているのに対し、しんのすけは土下座しながらも、ひろしを睨みつけています。厳格になったロボとーちゃんに反旗を翻したしんのすけはいつもの仲間と集まり、ひろしの内面が変化した原因と考えられる髭のおもちゃを取ろうと共謀します。計画は成功しますが、ぶっ壊れたロボとーちゃんは廃棄場に運ばれてしまいます。

 

廃棄場に運ばれたひろしをしんのすけが助け出し、もとのロボとーちゃん(頭部だけ)をつれて廃棄場を歩いていると(髭が取れているのですでにしんのすけの反抗心はない)、本物のひろしを見つけます。ここで、野原ひろしが改造されておらず、ロボとーちゃんは野原ひろしの記憶をコピーしたロボットであることが視聴者に明かされます。しんのすけは両方とも平等に接します。

 

やがて市庁舎を占拠している鉄拳時と、それに立ち向かうみさえを救うため、ひろし、ロボとーちゃん、しんのすけは市庁舎の屋上に到着し、ロボとーちゃんが鉄拳時と戦います。熾烈な戦闘の末、かろうじてロボとーちゃんが勝ちますが、みさえが「あなた!」と言って駆け寄ったのは横で傍観していた野原ひろしでした。一方でしんのすけは、茫然としているロボとーちゃんに声を掛けます。みさえは、命を懸けて戦ったロボとーちゃんよりも、人間の形をした野原ひろしを選んだのです。

因みにここの戦闘直後、屋上に雨が降るのですが、これは二人の父親の心境に自然が感応する、フィクションの表現方法の一つと考えるのが自然でしょう。尤も、野原ひろしの歓喜とロボとーちゃんの絶望という、対照的な涙ですが。

 

そして野原一家は黒幕との決戦に挑み勝つのですが、ロボとーちゃんの戦いでの損傷は大きく、壊れる寸前でした。ここで、作中何度も行った腕相撲をひろしにけしかけます。

論点はずれますが、ひろし同士の腕相撲はこれまでに一回あり、その時は単純にどちらが父親かというもので、当然ロボとーちゃんが勝ちます。しかし、ここでの腕相撲は、改めてどちらが父親かという勝負ではなく、ロボとーちゃんからの、ひろしへの「父親試験」なるものだったと考えられます。機能不全寸前のロボとーちゃんが、これからの野原一家を頼めるのか最後に力を振り絞って試したのでしょう(腕相撲に関する考察はAmazon prime videoのレビューに数個あり)。

物語の展開的にもちろんひろしが勝ち、ロボとーちゃんとの最後の別れが訪れます。(個人的にここが一番感動します笑い泣き)。そして、この時には、みさえもしんのすけも、ロボとーちゃんをひろしと同等に接しています。腕相撲の途中、しんのすけは「負けるなロボとーちゃん!」「負けるなとーちゃん!」「どっちも勝て!」と哮っていますし、みさえも「あなた!勝って!」と叫んでいます。結果的にみさえの一声でひろしが奮起して決着をつけるのですが、ロボとーちゃんもひろしもこのみさえの一声に「はっ」と反応しています。みさえも両方を応援していたのでしょう。その上で、みさえはこれからも一緒にいるであろう、いたいであろう野原ひろしにわずかに傾いた結果、ひろしが勝ったといえるのではないでしょうか。

 

ロボとーちゃんは野原ひろしの記憶をコピーしたロボットであるので、ロボとーちゃんと野原ひろしの差は外面、すなわち見た目だけとなります。極端ですが、見た目によって、ここまでみさえの対応は変わってしまうのです。最も顕著なのが➃場面でしょう。➀➁の過程で、みさえは恐怖におびえながらもロボとーちゃんの中身はひろしであると一度認識しています。ロボとーちゃんと鉄拳時の激闘も目撃しています。にもかかわらず、選ばれたのは人間のひろしでした。横でただ毛布に包まって傍観していたにもかかわらず、です。

 

 

 

 

3 色即是空

 

これらのことから、人間は最初は外見を重視してしまう、すなわち見えないものよりも見えるものに頼ってしまう弱さがあるといえるでしょう。しかし、➀~➄を見てわかるように、みさえもやがてロボとーちゃんの内面に目を向け、最後はひろし同様に信頼します。ここで初めて野原家の掛け軸に書かれてある「色即是空(しきそくぜくう)」が解釈できると考えられます。この言葉は「色即是空、空即是色」というものの前半を採っており、本来の意味は空(実体のないもの)と色(実体のあるもの)は互いに依存しあう関係の上に成り立っている、というものです。つまり、外見がすべてではないし、内面がすべてでもないということを伝えたいのではないでしょうか。その上で、掛け軸は前半のみを採っています。もちろん字数的に八文字は入らないという問題もあったと思いますが、「万物は実体のないものであり、」という部分から、実体のない内面、すなわち人間性や人柄、人格というものが外見よりもわずかに強調されているような気がします。みさえのロボとーちゃんに対する見方の変化を踏まえると、そのように解釈することができるでしょう。一方のしんのすけは、ロボとーちゃんの内面によって態度を変えた。逆を言えば、外見で左右されなかったということになります。これは大人と子供の違いかと思います。子どもの方が一見外見だけで判断しそうですが、純粋で意外と大人より内面を見ているのかもしれませんね。最後の部分は完全に主観ですけど。

 

 

 

 

4 まとめ

 

このようにみると、この「逆襲!ロボとーちゃん」という映画は人間の外見と内面の依存しあった関係性をロボとーちゃんという、外見だけが違う存在を登場させることで浮き彫りにしました。それに対するみさえの反応により、その上で目に見える実体すなわち外見を重視してしまう人間の弱さ、時間をかけてその弱さを克服しようとする人間の強さと、しんのすけの反応により、外見だけでなく内面をしっかりと見つめることの重要性を同時に描きだした傑作と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

5 おわりに

 

今回はクレヨンしんちゃんでしたが、どうしても伝えたいと思い、特別に書きました。次こそはドラえもん映画で一本書きたいと思っています。この他にこち亀と名探偵コナンを愛読していて、こち亀は興味深いところもありますがブログに書くまででもないかな、という感じです。コナンの映画は凝っていますが、映画が訴えているものがあまりない気がするので、記事にすることはないと思います。もちろん名探偵コナンの映画の面白さはメッセージ性ではなくアクションと推理、そして組織に迫る過程や巧妙な人物やその関係の設定だと思っており、決して嫌いではありません。大好きです。赤井さんと灰原推しです。

ここからは本当にどうでもいい話ですが、コロナ騒動が去れば、苦楽を共にした、全国に散ってしまった友人たちと旨酒を酌み交わしたいですね。平安時代の人たちがやっていた、物忌みや方違えって、今日の自粛に通ずるところがありますね。まあ彼らはこういう時はただ仏に祈っていただけでしょうけどね。憶測ですが。今も一緒か、家でコロナ終んないかな~と考えているあたり。

 

最後に、ここまで読んでいただきありがとうございました。爆  笑