日本でプレーをしている時、
心の中では
本当の自分はこうじゃない。
もっとこうなりたい。
もっと注目されたい。
もっと、もっと、もっと、、、、、
そんな欲に支配されていました。
実は。笑
人一倍、現状を変えたいと思っている自分がいました。
でも、変わるきっかけがなんなのかもわからない。
この自分を変えて、誰が評価する?という恐怖から行動を起こす余裕などありませんでした。
プロのキャリアをスタートした愛媛FCの頃、
表現の仕方は悪いかもしれませんが、
2年間、何をしていたのだろうと。
僕は本当に愛媛にいたのか?
プロサッカー選手をしていたのか?
それなりに試合に使って貰っていたにも関わらずです。
僕は色んな面において、それなりだった。
ただただ時が過ぎ、契約満了を迎えました。
小笠原侑生がいたことを覚えている人はいても、
じゃあ僕がどんなサッカー選手だったかを覚えている人は少ないと思います。
愛媛を離れ、長崎に来た頃から、僕の中でスイッチが入りました。
もう後がなかったから。
当時の長崎は環境的にも非常に厳しかったですけど、
それが妙に心地よく、
みんなでそれを乗り越えていく
一体感みたいなものを感じていました。
だからこそ、チームのために足が攣るまで走り切る。
そんな自分を確立していきました。
プレーオフまで行く事ができ、その試合でも先発として使って貰い、
個人的には、自分のスタイルをサポーターの方々に認知してもらえ、
満足のいくシーズンでした。
サッカー選手として生きていく自信みたいなものを掴みました。
ただ、僕の両親に関しては、違っていました。
1年通して試合に出れた事、
最後観戦に来たのプレーオフにも先発で出場した事。
に関しては喜んではいましたが、
「それは侑生のスタイルじゃない」
「高校の頃、大学の頃を思い出せ」
プロになってからずっと言われてました。
手応えがあった試合の時でも言われていました。
やっと掴んだ自分のスタイルを否定される事に嫌悪感を感じて
その時は聞き流していました。
まあ色々あり、長崎を離れタイに来て、
心の中で溜め込んでいたものを解放する事が出来るようになってきました。
日本でプレーしていた時に大事にしていた献身性を捨て、外国人選手として生きる決意を固めました。
(まあほどほどにですが。笑)
なぜ日本の時はそれが出来なかったのか?
今は答えが分かります。
結果を求められることに逃げていたのだろうと。
だから、長崎で身を粉にして投げ出すスタイルを確立したんだと思います。
当時の自分を否定するつもりはありませんが。
今は180度プレースタイルが変わっています。
結果を出す、求められる喜びを感じながらプレーしています。
だからこそプレッシャーは日本でプレーしていた頃の何倍もありますが。
タイでプレーをし、タイドリームを掴んだ下地奨さんの言葉を借りると
「なりたい自分」
そんな姿に近づいています。
そして、そんな自分にいち早く気づいていた両親にも驚かされます。
一番僕のサッカーを理解しているんだと。
その甲斐あって、今回タイのトップリーグに位置するプレミアリーグの
シーサケットFCに移籍する事になりました。
今1週間弱、シーサケットで生活していますが、
本当生活するのに厳しい場所です。
ですが、それを心地よく思っている自分がいます。
甘えも出せず、厳しい環境にまた身を置けて
また一からスタートさせてもらえる事に。
今思えるのは、サッカーに限らず、何をするにしても無駄はないということ。
愛媛で抱いた思いが無かったら、長崎であそこまで必死になれたか?
タイに行く際に失敗をしなかったら、今の自分はいるのか?
何かを捨てて、何かを得る。
という事に関しては、僕はうまくサッカー人生を進めています。
あの失敗した2014年当時、人生のうちで、初めて自分から行動を起こしました。
失敗だったと思っていたけれど、それは果たして失敗だったのか?
あれが成功への鍵だったのではないか?
そんなポジティブな今現在です。笑
あの経験のおかげで逆に僕は人と密接に関わるようになりました。
それだけでもはるかに進んでいます。
犠牲は払いましたけど、自分が行動を起こした事は誇りに思います。
ですが、それは僕がこれからもっと成功する事で、
もっともっと共感や言葉の説得力を掴んでいくんじゃないかと思います。
どこに変わるきっかけがあるかは人それぞれです。
このブログを見てくれた人が少しでも共感し、行動を起こすきっかけを与える事が僕に出来たら幸いです。
来季も10番です!!
初めてのトップリーグ、
結果を求められる環境、
シーサケットでの生活。
全て引っくるめて楽しんでやっていきます!!!