現在の気象大学校の前身である気象技術官養成所を 卒業後、陸軍技術中尉として陸軍気象部に所属。戦 後中央気象台(気象庁の前身)に転じ、徳島や彦 根等の地方気象台勤務、並びに大阪管区気象台天気 相談所長を歴任。

同庁を定年の1年前である 1980年に退官し日本気象 協会に移籍後、1980年11月より関西テレビの気象情 報担当キャスターとして登場。担当番組である 『ザ・モーニング630』は、日本で初めて気象衛星 「ひまわり」の画像を同局で直接受信し、きめ細やかな気象解説を務めた。

気象解説のベテランだが、 気象予報士の資格は終身 持っていなかった。これは同資格が1994年からの創 設であり、当時既にニュース番組のお天気キャス ターを降板していたこと、また自身が高齢だったこ とから、「この歳で今更資格を取る気はない」と公 言していたことが要因である。


ただ、第1回試験に おいて、実際に合格者の名前に『◎◎◎◎』とあったことから自身にもマスコミから問い合わせが殺到するなどニュースとなったものの、同姓同名の別人 だった。


高齢の徳島県人が使う、強度の阿波弁の影響(サ行 がシャ行になる)を残した話し方と緊張とも地とも 取れる上ずったような素人然とした独特な声が特徴的。


自身が前の日の放送にて解説した予報が外れた際に


『申し訳ありましぇんでした!』と謙虚に謝罪したり


寒冷前線の事を“かんれーじぇんしぇん”と発音したり


語尾には必ずと言っていいほど“…で ごじゃいましゅ!”と付くなど


赤ちゃん言葉のよう な彼独特の言い回しで、視聴者から“お天気おじさ ん”・“お天気の◎◎さん”・“◎◎のおっちゃん”と愛 称を付けられ絶大な人気を集めた。


また、生放送で視聴者からの葉書を読む際に

「えー、お葉書をいた だきました、豊中市、匿名希望の○○さん」と名前を読み上げてしまうなど、いわゆる天然ボケでも知られた。



1986年からは夕方の ローカルワイドニュース番組 『アタック600』のお天気コーナーキャスターに就 任。同番組ではサブキャスターの梅田淳アナウンサーとコンビで伝え、人気を博し、天気予報が始ま る18時45分ごろになると視聴率が上がり始めるとい う現象が見られた。予報直前のCM前には「次は、◎◎さんのお天気」のテロップが表示された。また 平日のニュース番組以外にも関西テレビ制作の全国 ネットのワイドショーにも出演。全国にも顔が親し まれた。





かんれーじぇんしぇん
福井敏雄さんです


今の日本に福井敏雄が足りない



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