貴金属、とりわけ金について語られるとき、
それはしばしば「安全資産」という言葉で要約される。
だが私は、この呼び方自体が、金の本質を曖昧にしていると感じている。

金は安全だから買われるのではない。
他の基準が信用できなくなったとき、最後に残る測定器として選ばれているだけだ。

金は何も生み出さない。
利息も配当もなく、経済成長に参加することもない。
それにもかかわらず、危機のたびに人々が金に立ち戻るのは、
そこに「約束が存在しない」からである。

通貨は約束であり、
債券は将来の支払いへの信認であり、
株式は成長が継続するという物語だ。

金だけは、
誰かの履行能力や制度の継続を前提としない。
それゆえに、金は常に沈黙している。

私は貴金属を、
「守ってくれる資産」としてではなく、
市場全体の前提がどれほど歪んでいるかを測る物差しとして見る。

金価格が上昇するとき、
それは必ずしもインフレを意味しない。
また、恐怖が拡大しているとも限らない。

むしろ、
「現在使われている評価基準そのものが信じにくくなっている」
という兆候であることが多い。

特に注意すべきは、
株式が堅調で、金も同時に買われている局面だ。
このとき市場は楽観しているのではない。
不安を先送りしているだけである。

私は貴金属投資において、
タイミングや価格帯よりも、
なぜ今それを持つ必要があると感じたのかを問い続ける。

もしその理由が、
「上がりそうだから」
「皆が持っているから」
であるなら、
それはすでに金ではなく、ただの投機対象だ。

金は、使いどころを誤れば、
何も語らないまま、長く重荷になる。
だが、前提が崩れた瞬間には、
声を上げずに、構造の変化だけを示す。

私は、優れた投資家を
「金を多く持つ人間」だとは考えていない。
必要なときに、
なぜそれを持っているのかを説明できる人間だけが、
金と正しく向き合っている。

貴金属とは、
利益を得るための道具ではない。
自分が信じている世界の前提が、
まだ機能しているかどうかを確かめるための存在だ。

それを資産と呼ぶかどうかは重要ではない。
重要なのは、
それが輝き始めたとき、
何が静かに壊れつつあるのかを、
自分の言葉で認識できるかどうかである。