梅雨らしく雨も降るのだけれど、雨が上がると夏の空になっていて、やけに遠くが見える。昔は、梅雨寒(つゆざむ)なんて言葉があって、梅雨時期にやけに寒い日が続くこともあったのに今時は真夏の陽気だ。この言葉も駆逐されるんだろうな。(そうすると、すぐ梅雨暑などという言葉言い出すバカ野郎がいる。そういうセンスが大嫌い。お前のことだよ、Iくん。まあ、バカはほっといても暑さに変わりはない)生駒のお山のてっぺんの電波塔だかなんだかの赤と白や、その横の遊園地の飛行機の乗り物のタワーやらが結構くっきり見える。周りの緑も鮮やかで、山だけでなく眩しさの中で、一本道の道路のずっと向こうの電信柱や電線までもはっきり見えたり、行ったこともない隣の隣の町のデパートやらスーパーーの看板が見えたりして、ああ、だから夏はみんな遠くへ行きたがるんだな、と思い当たる。遠くが見えるからなんだ。もう十何年くらい前かな、「鉄塔武蔵野線」という映画があって、小学生(チビノリダーが演じていた)が夏休みに鉄塔を一つ一つ制覇してゆく話。田んぼや川や乗り越えて、ほとんど無言で自転車走らせ制覇していく話。悔しかった。こんなお話を作った人に対する悔しさでなく、これを行動に移した子がいるという悔しさだった。子供の時、伊豆の田舎で、しかも富士山も見えない谷の底で育った俺は・・・もういいや・・・いつも、何かしようと思い立ったとき、部屋を片付けてからとか、読みかけの本を読んでからとか言われてきたし、自分でも腑に落ちたし、で、結局部屋も、本も、宿題も、自由研究も、工作も、デートも、芝居も、ごめんなさいも、ありがとうも、悪いことも、いいことも、子ネズミの囓った堅いパン程度の達成率で、そんなこんなで夏は終わるのよね。自分の生き様だか死に様だかもこの程度かと・・・たかをくくりますか。
遠くの遠くが見えた時って、その風景をずっと待っていたような気がして行かなくちゃいけない気がするのだけれど、でもそこはなんだか行くには近すぎる気がして、で、もっと遠くを見ようと思うとそこは、ぼんやりしていて、はっきりしなくて、そうすると本当に行きたいのか行くべきかもやもやして、でも遠くが見える限り、いつかそこへ行ける可能性だけで満足して・・・やれやれ。
んー、でも久しぶりに一度も降りたことのない駅で降りて、めちゃくちゃに歩いて、わざと迷子になる散歩でもしようかな。
んー、新しいお話書きたいのだけれどがなかなか進まないからこんなこと考えるんだな。
遠くの遠くが見えた時って、その風景をずっと待っていたような気がして行かなくちゃいけない気がするのだけれど、でもそこはなんだか行くには近すぎる気がして、で、もっと遠くを見ようと思うとそこは、ぼんやりしていて、はっきりしなくて、そうすると本当に行きたいのか行くべきかもやもやして、でも遠くが見える限り、いつかそこへ行ける可能性だけで満足して・・・やれやれ。
んー、でも久しぶりに一度も降りたことのない駅で降りて、めちゃくちゃに歩いて、わざと迷子になる散歩でもしようかな。
んー、新しいお話書きたいのだけれどがなかなか進まないからこんなこと考えるんだな。