自己分析を意識してなのか


ハイロウズの「十四才」と言う曲を聴いたことをきっかけに振り返ってみる。



中二か。



部活をちょっと頑張っていました。バスケ部で先輩がいなくなって、俺らの時代か!見たいな感じで盛り上がってたのかな?夏休み最後の三日間の練習は40度の高熱で休んでしまって、そうとう悔しかったな・・・。

それまではサボりまくりでした。そんときがんばってたらいまここにいなかったかもね。


がんばってたけど、過去最弱のチームだったと思う。

そんときのヤツでまだつながってるヤツは少ないな。なんでなんかな。高校あがるときもたくさんきったな。

成人の日で思い出したけど、去年俺もそうやったんやなー。そんときはおもったよりみんなとすんなりしゃべれたけど。



高校受験のための塾に入りました。


ちょっと恋しました。まったくしゃべれませんでした。しゃべったんは、授業中に貧血でぶっ倒れてたまたまそんとき横にその子が座っていて「あ、ごめん!!」くらい。

たぶん結構きれいになってるはず笑成人式のときは遇わんかったかな?



中二?中三?英語のスピコンにでました。


発音だけ評価されて努力賞。そのとき三位のやつと高校で同じクラスになりました。

環境がよかったね。ECCの先生がマジ面倒見がよかった。このHNもそのときの呼称に由来してますからね。

先生もやさしかったな。三つ大会があって、それぞれにひとりづつでるってなって、とりあえず下書きして来いって言われてたぶんいっちゃんしょぼかった俺のことを一番いいって評価してくれたんやろな。なんでってプライド高いってか、これで俺が挫折したらほんまに再起不能・英語嫌いになるとかおもってたんやろな。

なんでいっちゃんしょぼかったかって?その二人は京大と東大いくようなかしこーーーいいやつやったからな!嫌いやけど笑



音楽


スピーチのタイトルはなんと「I love music」調子こきすぎです笑

もっと「音楽は人、世界をつなぐ」見たいなんにすればよかったと思います。

limp bizkitからはじまってそんな感じのをいろいろ聴いてた。rizeもそんときから。

バンドもやりたかった。ドラムもあったけど実現せず。もうひとりのギターとけんか笑

ベース持ってたやつは高校のときばりばり軽音でやってたのがうらやましかったな。



みんなどんな十四才やった?

オ○ニート座間です。


近頃の僕は

上記の通りです

もしくは


ネムニート座間です。




さてさてテストが近づいているわけですけれども、昨日は飲みに行きました。


いろいろしゃべったですがあんま覚えてません。


だいぶぶっちゃけトーク炸裂でしたね。


もっともっとおもろくしたいっすね、いろいろと。


あと性欲がマックスってこととメールの返信がthe girlからこないことが気がかりですね。



明日は試験ですね。


普通の授業もあるんですかね?とりあえずおとすんは目に見えてますがやってみますのみどりばりに頑張りたいと思います。


ゼミのレポートが終わったときの快感をなぜか先取りしてまだまだまだレポートには入れてません。


レポート試験5000字ってのも残ってます。


てか明日テスト終わったら名古屋です。


不可也です。


マネーとか


いろいろテストとか。


あんま中身ないこと書くのをやめようと思ったのですがやめれません。



最近はめっきりくるりにはまっています。


バイトの先輩がかなりのフリークでかなり談義に花が咲いております。


ユーチューブもみまくりです。


音楽はやはりすばらしい。


人をつなぐものであり、その音楽が存在しないところでも一体感を産んでいる。


ギターの練習に励む日々です。ベースもひさびさにひっぱりだしてこようかな。


明日の勉強しようかな


レポートやろうかな


お湯が沸いたのでこの辺で。

結論から述べておく



それは神様に感謝したりお願いしたりするところであると思う


しかしそれは一応の建前?である


実際はそれと同時に神を内在化する場所ではないか


内在化というより自身が神に近づく・なる場所ではないか


それは実はライブも同じである。



①構成要素

②自己反論

③結


というカタチで以下に論じる。


考えながら書いているので思いついても忘れてしまって抜けているところがあるかもしれないんで先にごめんなさい。あとそれぞれに対しての知識が足りなすぎるので適当なことを書いています、ごめんなさい。


①構成要素


「人・音・光」


まず人であるが、

ⅰ人数

大人数でも少人数でも関係はない。

日本人の性質?外国も同じかもしれないが人の一体感というのは異常なまでの力を発揮することがある。日本には数多くの祭りが存在しているが、異常な雰囲気を出すものがやはり目立つ。N井氏の語るだんじりもしかり、異常な盛り上がりである。ライブハウスや野外のイベントも同様である。

少人数の場合、私に限ったことではないと思うが、一人で歌ったりギターを弾いたり、それだけでもその人の中での世界が変わる。ただの自己陶酔と言っても過言ではないかもしれない。しかしそれは数多くの祭りであっても、禅の修業でも同じではないか(陶酔という言葉は失礼であるかもしれない。しかし自分を忘れるということはある種自分としっかり向き合う入り込むことで自分を知り、悟ることができ、俗世から離れることが可能なのではないか)


ⅱカリスマ性

これも特定のカリスマがいる場合といない場合両方考えられる。

ライブや祭りは、アーティストや中心となり仕切る人物が存在する。しかし、そのような存在がなくても異様な盛り上がりが発生する場合がある。私が経験したものでは校祖墓参のときのネリがそうである。誰がリーダーというか誰でもが平等にぶつかり合う。(詳細が知りたかったらまた俺に聴いてくれ)


次に音


共鳴

これに尽きる。ライブ会場はいうまでもない。音にあわせて体を揺らし歌う。

仏教はお経。キリスト教は賛美歌。ごめんなさい、あとの宗教はよくわかりませんが、音楽の担っている役割は大きいはずです。

祭りも「祭囃子(まつりばやし)」があったり、大きな声をあげて動き回ったり、独特な雅楽器の音が鳴っていたりする。

動きというのも大きな要素である。同じ動き、もしくは反発する動き、様々な動きこれらが一つにまとまって祭りである。ネリは思いっきり反発し合いである。


最後に光

目に見えるために必要である。

それ以上にライブの場合はその場を盛り上げる大きな要素である。カリスマが照らされている。つくられたものであるがより一層のカリスマ性が引き立てられ魅了させられてしまう。ミュージックビデオも近い要素を含んでいる。

仏像もキリストもしょっちゅう光っている。仏像は光の輪が背中から出ているし、金メッキが施されたりしている。キリストの絵は頭あたりが光るものもある。イスラム教は偶像崇拝を禁じているこれはまぶしいので不可視であるのではないかと私は考えた。


②自己反論


音と光に関して

視覚・聴覚に障害をもつ人は神を体感できないのかということになってしまう。また身体が動かすことができない人もどうようである。

これにはどうにも反論ができない。

苦し紛れにするとしたら、視覚に障害がある人はない人よりもより音を体にしみこませることが上手なのではないだろうか。私たちも時にこうすることはないだろうか、目をつむって音楽を聴く。そして想いをめぐらせる。より心から音楽に触れ合っている、ギター・ベース・ドラムいろんな楽器の音、声、言葉、心、感情とより近く触れ合うことができる。

聴覚に障害がある人は見えるものをより集中してみることができるのではないか。その集中により光・動きに魅了されていく・・・これはかなり苦しいものがある・・・。限界っす・・・。


③結

祭りもライブ会場も神様がいる。人のつくる輪、音のつくる和、光がつくる環。すべて「わ」でつながっている。そして神様は自分。自分が自分にしかない神様の像の焦点を合わせる場所。

私がライブと祭りを経験した感想である。


テストの日程がでたので少しやる気がでたぜ!!


説明会とかの予約をとりあえず入れてみた。


愛知いくのめんどいの・・・・。


行くけど・・・・・。


早く全部おわれ!!!

日本ユニシスのセミナーにいってくるっちゃ!


さっき決めたっちゃ!


大阪また迷う・・・


大学はとっとと試験の日程公示しろぼけ!!


こっちは留年かかってまんのや!


tickのアルバム買ったっちゃ!


おー。


って感じ。


今日レポートの課題発表すな!と。


やるか!っと。


リサーチペーパー・・・涙