義父母のお墓参りに行ってきました、新幹線などを使い、帰りは小諸駅から高速バスで(ネットで予約最前列席)新宿駅着で帰宅しました。
かってこの門には歴史資料館が在りました、義叔母が、山本家に嫁いでいましたので、義父が山本勘助に関しての古文書を捜索しましたがなかったそうです、
現在は徴古館が在ります、入館したことがありますが、山本勘助に関する古文書は、牧野家では公開していませんでした、
なお勘助の実在は疑問視されていましたが、現在は北海道で武田信玄関係の市河古文書が発見されているそうです。
過去に行ったときは、セイタカアワダチソウの背丈が2mほどの中を分け入り、門番の部屋の障子紙はボロボロで見る影もありませんでした、幽霊屋敷のようなところには訪れる人もいませんでした、
ありゃ~なんじゃこれで、地面は石畳にされ、完全に観光用になっていました撮影するのにためらいましたが、またいつこられるか分かりませんので撮りました。
破壊(人間の尊厳)夜明け前、と暗い時代はやですね。
https://www.komoro-tour.jp/img/pamphlet/touson_yukari_map.pdf
あらたに発見された堀の水を千曲川にながす排水溝です、石垣下はかっては千曲川が流れていたそうです、
看板に偽りあり、真田石ではありません、千石石です、
かって千曲川は石垣下付近まで流れていたそうです、千曲川で毛鉤のフライフィッシュングをしたことがありますが、水位量は少なく、ハヤ(ウグイ)しか釣れませんでした。
(山女は水温12℃位で、雪水が流れ込み海につながっていないと生息しません)
このあたりに、真田の城があった場所とゆわれているそうです。
真田氏の城跡と千石氏の上田城は場所が違うかもです。
かってここには、カルチャ-センタ-の生け花教室などがありました、
関ケ原の合戦で真田軍が徳川秀忠軍を、この付近などでゲリラ戦法で足止めをしたそうです、
1333年に滅亡した鎌倉北条氏です、北条正子の実家(伊東氏であり)であり、源頼朝から執権を任されていました、
上田城内の真田神社(主祭神は、生島大神と足島大神)の石垣の垣根に、小雨にけむるなか咲いていました、
島倉千代子の、♪からたち日記、が浮かんできました.
島倉千代子さんの出身地は品川区 北品川です、叔父が同じ北品川に住んでいました、子供の頃、山手線(やまのてせん)&山手線(やまて線)&現在は、やまのてせん、に乗り、お泊りしたことがあります、なぜだかわかりませんが親しみを感じました、
♪からたちの小径、亡くなる3日前の録音曲です、正にプロフェショナルの中のプロフェショナルです。

























































