磐境神明神社 | ✩.*˚꙳★*゚イェスルの忘備録꙳★*゚✩.*˚

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イスラエル遺跡の旅の続きです…

白人神社


白人神社は1596~1614年(慶長年間)の初め、稲田修理亮によって再興されたといわれ、阿波藩の家老であり脇城主(後に淡路城代となる)であった稲田家の信奉が厚かった神社です。
 稲田氏は代々鎧・刀・画などの寄進をたびたび行っていますが、当神社玄関にある「白人大明神」と刻まれた額も稲田主税助植春の奉納したもので、彗雲鉄啀の書になるものです。そのほか同神社に保存されている箙(えびら)は木製で、蜻蛉の形の彫り物を施し、全国的にも類例が少ないといわれています。

白人神社の創建は、仁賢天皇の時代に白仙の教えにより神明山に社殿が立てられこの地を宮内と改めたことによる。その後、1166年に源為朝により、現在の地に白人大明神が建てられた。白人大明神の社領は広大で、宮人は武装して社領を守っていたが、刀狩り以降は、祭祀が主な務めとなり、現在に至っており、宮人の屋号には「神主」「祢宜」があり、その役目を表しているという。
 宮人の祖が忌部一族であるとすると、古代イスラエルの礼拝所を模した磐境を築いたのは忌部一族ということになるが・・・。まさかね~と思って、ネットで調べていると、織田信長と武田勝頼との長篠合戦図にとんでもないものが描かれていることがわかった。織田本陣の織田信長のすぐそばに、甲冑もつけず武器も持たない3人の白装束の男が描かれており、その背には六芒星が見えるのである。六芒星は現在のイスラエルの国旗にも記されている紋章である。織田信長の祖先は、織田剣神社の神官で、その神官を務めていたのが忌部氏であるというのだ。推測するに、忌部氏はブレーンとして織田信長を陰で支える存在であったのだろう。問題は、その忌部氏とみられる白装束の集団が六芒星を背に抱いているということだ。忌部氏と古代イスラエルはつながっている。忌部氏が古代イスラエルの礼拝所を模した磐境を築いたのである。インベという音もなんだかヘブライ語っぽく思えてきた。忌部氏が神官を務めていたのが「織田剣神社」で剣山を想起させるのも興味深い。

神社には狛犬が置かれているのが一般的かと思われますが… こちらでは、白人神社の神様の使いをされる、うさぎが置かれています。ご神燈の上に、ちょこんと座っています。
このうさぎを撫でると、開運すると言います。今年もよい年となるように、うさぎを撫で撫でしてみてはいかがでしょうか?

蟇股(かえるまた)(※1)部分にもうさぎが。
(※1)和様建築で,梁や頭貫 (かしらぬき) 上にあって上の荷重を支える材。

この場所にはもう一つ、こんな伝説があります。
保元の乱の後、讃岐に流されてしまった崇徳上皇をたずねた源為朝が、阿讃と讃岐の国境の相栗峠(あいぐりとうげ)で弓を引いたところ、うなりをたてた矢は、毘沙門獄に当たり、はねかえって白人神社におちました。

その後、源為朝によって現在の場所に神社が建立され、弓矢が奉納されました。
それ以来弓矢は宝物となり、毎年旧暦の正月十四日に御的射祭りが行われています。

この白人神社の奥社とされる神社が、神社より約100m西南にあります。
『磐境神明神社』。ここに不思議な遺跡があります。
神社の社地は、椎(しい)・松・樫(かし)の木などが密集している、『神明の森』。

遺跡へは、この階段を上ります。










階段を上ると磐境(いわさか)(※2)と呼ばれるとても不思議な形をした、石囲の祠(ほこら)があり、五社三門(※3)の社(やしろ)があります。

(※2)神様を降臨させる対象物のこと。
(※3)石で囲まれ、三つの入口(門)、内側に五つの社がある形のこと。

古代ユダヤの祭祀場と形式が似ていると言われる謎の遺跡。
ちょっと怖いような、不思議な感じがします。
でも、とても神秘的な所です。石垣で囲まれた日本では特異な形態の神社です。 ユダヤの祭祀場とそっくりとの事で、イスラエルの元駐日大使が2回も調査に来ています。この剣山系一帯は古代ソロモンアーク伝説があり、第二次世界大戦後には アメリカのGHQが剣山の大がかりな調査をしたと言われています。

祭神は、国常立神、伊弉冉神、天照大神、豊秋津姫神、瓊瓊杵尊となっている。いずれも皇孫ゆかりの神であるが、伊弉諾神ではなく妻の伊弉冉神、天忍穂耳命ではなく妻の豊秋津姫神と女神が祀られているのは何か意味があるのだろうか?穴吹町史には、「古代忌部の一族がこの村に住みつき、麻や穀物を作るようになった。豊作を願い神明山に集って祀りを行った。やがて聖域を区別するために石を積んで磐境が築かれた。この一族が宮人(みやうど)の先祖である。」とある。神明神社のある神明山は、100mほど東にある白人神社がもともとあった場所とされている。

古代イスラエルの礼拝所?「磐境神明神社」(美馬市穴吹町) - 妄想の阿波古代史:楽天ブログ紀元前722年にアッシリアに滅ぼされた後、忽然と姿を消した古代イスラエルの10支族の一部が日本に流れ着いたという伝説がある。日本と古代イスラエルの言葉や風習、信仰などには偶然ではすまされないほど共通点がリンクplaza.rakuten.co.jp

四国にある古代イスラエルの礼拝所と忌部氏 | 日本人の信仰と聖書について考える会ブログ四国にはイスラエル系渡来人がやって来たことを思わせる史跡が数々あるようです。今日も坂東誠著「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」からご紹介いたします。リンクnihonjintoseisho.com



剣山から天の岩戸神社がナビで行けず、次に向かった所です。

凄い神秘的でしたキラキラキラキラ

最後迄読んで頂きありがとうございます~天使天使天使



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