1988年11月8日 生まれ
埼玉県さいたま市(旧大宮市)育ち
両親共に埼玉県育ちだが、父は幸手市で、母が同じく旧大宮市育ちである。
両親の共働きにより、私は幼いころから母方の祖父母に預けられ
祖父母から大切に育てられ、大きく成長した。
欲しいものは買い与えられ、行きたいところへは連れて行ってくれた。
私は両親からしたら一人娘で、祖父母には初孫の存在。
食べ物も、住む部屋も、欲しいものも、何不自由なく与えられた。
自分のものはもちろん、自分のもの。他人のものは奪い取り、自分のものになる。
一人っ子だった私は弟か妹が欲しくて、両親や祖父母にねだってみたが
なかなかきょうだいが増えることはなく、通っていた保育園では親しくなった
年下の子に、家に来る?お姉ちゃん欲しい?なってあげる!と言って、連れて帰ろうとしていた。
保育園では0歳から5、6歳までの女児男児が分け隔てなく居て
自分の組だけで歌を歌うなどの時間はあったが、通っている子みんなが自由に外で遊べる時間がたくさんあった。
まだ歩けない赤ちゃんたちは、木製の柵の向こう側でゴロゴロしたり、眠ったり
大切に扱われていた。
通っていた保育園は靴下着用禁止で、皆裸足で過ごしていた。
私はいつも砂場やジャングルジム、鬼ごっこなどをしに基本的には外で駆け回っていた。
動くのは好きだった。出掛けるのも好きだった。
楽しくて、知らない場所に行くことはウキウキした。
ただ、当時でも気に入らない子は居て、意地悪をして泣かせたり
悪知恵を使い、先生を困らせたりもした。
本当に小さいころはうるさくて、泣くことにも全力を使い、それこそ大泣きして体力を使っていた。周りで聞いていた大人たちは、さぞや頭痛がしたことであろう…
幼い頃は今より感情の起伏が激しく、低温でも一瞬で沸点に達するほどの熱量を持っていた。
嫌なものは嫌。誰かがなだめても聞く耳持たず。
嫌なものは嫌。誰かがなだめても聞く耳持たず。
許可が出るまで激しく泣きわめく。猪突猛進。周りなど見えていない。
残っている体力を使い、泣きわめくだけなのだ。
残っている体力を使い、泣きわめくだけなのだ。
何が嫌で泣いていたかは忘れたが、とにかく抗議したくて、祖父母の家で朝食をとるときに
お気に入りの箸をパキンと折ったこともある。
しかしその後、自分で折ったことは棚にあげて、お気に入りの箸が折れて使えなくなった為
私専用の箸は数種類あったが、新たに気に入る箸を買ってもらった。
とにもかくにも自分本位。
保育園が休みの日には、自分が暇だということで、朝8時頃から1人で
友だちの家まで歩いて行き、その子のお母さんを驚かせてしまったことがある。
大人の世界はすごい。祖母が心配しているだろうと連絡をしてくれて、友だちのお母さんの自転車に乗せられ、無事に帰宅したことがある。
祖母が友だち宅まで迎えに来てくれたこともあった。
一度や二度ではなかったと思う。もはや常習犯。
いけないということは、まったく学習できないというか、しないというか…根本的におかしいのだろう。
保育園に通っていた頃は、何故か男の子になりたいと思っていた。