それはそれ。
これはこれ。
私です。


その内、本当にドール(AI)が運営するバーが出来たりしてね。
そこでお客様の話を聞きながらAIが人間を学習していくの。
…本当に在り得そうだね。笑


気持ちはね、痛い程分かるんだけどね。
でも私が今、生きているのはこの「現実」なんだわ。
そして私が好きになるのも「現実」の人で、私が関わって会話してるのも「現実」の人。
私の身の回りには「現実」の人しか居ないのよね。

これは私個人の感覚なのだけど。
「夢を見せる」とか「現実を忘れて」って言葉が…あんまり好ましくなくて。
だからいつもこの手の表現を聞くと首を傾げてしまうんだけど。

だって…現実に起きている事は全部「現実」なんだもん。笑
それがいかにキラキラしい場面でも何であっても、私が今、目にしているものも感じているものも全部「現実」に起こっている事でしょう。
だからやっぱり「現実」を否定する言葉は…変だよねぇ?苦笑
私が首を傾げたくなるの、分かるでしょう?笑

ただ、それが「全て」ではないってだけ。
私が見ているものや感じているものは「現実」だけど、それが現実の全てでは無いでしょう?
ライトもライトアップする前はただの黒い機械の塊でしかないし。
ギターもアンプに繋がなければあんな音はしないし。
人も一緒よね。
魅せている姿がその人の全てではないでしょう?
ただそれだけ…なんだよね。

でも今って何か変なのよ。
まるで漫画の世界と現実の世界が入り混じっているような。
「人間」にあるまじき人間を本気で求めてる人が居たり。
事件にドラマチックな背景を求めている人がいたり、逆に言えばドラマチックな理由で事件を起こしていたり。
「理想」と「現実」がごっちゃになっていたりね。
何か…話一つするのも大変になったなぁって思うのです。苦笑

何だろう…この表現が正しいか分からないけど…。
ずっと小学生と話してる気分になるのよね。苦笑
「人間10年目だもんね」っていう感じ…分かる?笑
人間10年目だからこそ許される感性っていうのかな。

小学生の子と対等に話す大人って酷だし、まず居ないよね。
居るとしたら大人の方が配慮が無さ過ぎるよ。
もっと簡単に例えるなら小学1年生の子に「サンタクロースは居ないよ」って話す大人って愚か極まりないでしょう。
幼稚園児の群れで威張り散らして正論ぶちかまして得意げな顔してる中学生じゃあるまいし。
でも30歳の人相手に「サンタさんは居るよ」って本気で話す大人って居ないよね。
実際に居るには居るからその体で話す事はあれど、それの背景もちゃんと理解した上で話してるでしょう?
その違いって感じ。

今って30歳の小学生に話してるなって感じる事が多々あるのよね。
「そうだけど、そうじゃないよね」って所の説明から始めなきゃいけないのかと思うとウンザリする。苦笑
そうするともう「あーもう喋らなくていいや」ってなるのよ。
「ソウダネー」が一番楽。笑

今、年齢を重ねて…恐らく色んな力が無くなっていってるんだと思うのね私自身。
だから1から説明出来るほどの有り余る余分なパワーは無いのよ。苦笑
そのパワーを使わなくても言葉が通じる人と本音の話がしたい。
入口は建前からでも良いんだけど…ずっとそれに付き合うだけの気力体力がもう無い。笑

だから…何だろうなぁ…。
その年齢までにこのくらいの経験値と背景を察する能力はあるかなって思って喋ると「んっ?!」ってなる感じ。苦笑
あれもう…駄目ね。笑

しかもこれ、性質が悪い事に刺激的で過激な体験をしているからって経験値が高いかって言ったらそうでもなくて。苦笑
私は、その経験をした時にどれだけ頭と心を働かせたかによって得られるものが違うと思っていて。

例えどれだけ刺激的だったり過酷な経験をしようとそれは単なる「自分の経験」でしかないんだよねぇ。
自分が変わらずに同じ体験を繰り返したら、そりゃ同じ答えにしかならないのよ。笑
解き方は変えずに何度も同じ試験を、試験官だけ変えて繰り返してるように見える…私にはね。

そして何度か繰り返した後に「これの答えはこう!」っていう経験から導き出された答えを信じてるのよね。
だけどそれは決して「物事の真理」ではないし単なる経験でしょう?
だって…解き方は変わって無いんだもの。
だから正しくは「この解き方の時の答えはこうだった」が正しい表現じゃない?
そしてそれは…果たして「経験値が高い」って言うのかしら?苦笑
同じ経験しかしてなくない?笑

私が思う経験値が高いっていうのは同じやり方で同じ経験を何度もしてるって意味じゃなくて、都度、色んな方法で色んな答えを学んだ事を「経験値が高い」って言うのだと思うのだけれども。
何かその辺りも私と世間で齟齬がありそうだよねぇ。苦笑


前述したけど私は今、本音で喋りたい。
配慮のない会話をしたいんじゃなくて、腹の探り合いみたいな会話にあんまりエネルギー投資したくない。
なるべく疲れることはしたくない。
背景を1から説明して喋るのはしんどい。
お互い同程度の察するチカラを持ち寄って話がしたい。


ドールのマスターに話を聞いて貰うのは…あと10歳若かったらお願いしていたかも。
でも今はちゃんと大人として、大人と、大人な会話がしたいなぁと思う今日この頃。




















PS
流石だなぁって思ったよ。
恐らくそれを選んだ理由は「もう疲れたくない」とか凄くシンプルな理由なんだと思うけど。笑
でも私はそれすら嬉しいのよ。
変わらない「人間」って居ないからね。
そのリズムキープが難しい年齢になったんだって知れるのも嬉しい。
そうやって変わっていく自分自身を抱えながら「どうやって伝えていこうか?」って考えられるのはとてもとても素敵な事なのだと思うよ。
「辞める」とか「無理する」じゃない…「新たな魅せ方」を模索できるのって素敵じゃない?
因みに私はアコースティックverとかも好きです。
ゴスペルverやアカペラverも好き。
音楽の素敵なところは色んなアレンジが効くところだと思うから。