理不尽だらけです。
でもそれがどうかした?
私です。


ん~…。
今って昔話を進化(?)させているって聞いたんですが。
例えば「理不尽に死ぬ」とかは避ける様になっているそうです。

でも私、これが良いかはちょっと疑問だなって思うのよねぇ。
何故ならそういう理不尽って現実に普通に起こることだから。

現代の子達に「理不尽は起こらない」って教えるような真似をするのは危険、な気がします。
だって…起こりますよ理不尽は。
人間が人間であり、こんなに大勢で生きていく以上は。

理不尽も不条理も不愉快も全部起こります。
その中でどう捉えてどう立ち振る舞って生きていくのかが大事なのであって、絶望を見せない事が大事だとは思わないんだよなぁ私は。
大人が良く見られたいが為に無責任に理不尽を取り上げるより、子供と一緒に理不尽を乗り越える方法を考える方が…良いような気がするけど。

……あのね、どんだけ清く正しく生きようと絶対に理不尽は起こります。
幾ら綺麗事を唱えようと理不尽は起こりますし、綺麗なだけでは生き残れません。
例えそれが「理想」だとしても。
私は綺麗事を唱えるなとは言いません。
綺麗事だろうと何だろうと始まりは「発信」にあると思っているので。
初めはどんなに小さな発信でも、皆が諦めず声を合わせていけば、いつかは大きな声になって届く事もあると思うので。

だけど。

それ(理想)とこれ(現実)とは別です。
現実で理不尽な事が起こる以上、それに対抗する術は自分で身に付けるんです。

いつかは…理想の世の中になる時がくるかもしれません。
でもそれは「今」ではありません。
そして理想的じゃない今を生きるなら理不尽も不愉快も乗り越えていく力を付けなければ。
勿論、理不尽や不愉快、不条理に怒りながら。
いつかその怒りのパワーが世界を変える力になる事もあると思うので。

…だから…うん…何て言うか…人間って手抜きして生きられない様になってるんだわ残念ながら。苦笑
「理不尽な方が悪い」「私は間違った事はしてない」…それが通用して、別の誰かが責任取ってくれるほど甘くはないのよ。
ねぇ…そうなったら随分「楽」なのにね。
でも、この世は『そうならないように創られている』んだよ。

多分この先もね、正しい者が救われる世の中にはならないよ十中八九。苦笑
それは「人」っていう存在と相反した内容だから。
無理っていうより無茶に近いと思う。

その事実を前に絶望するのは簡単。
でもそれだけじゃ能がないでしょう。
だって…絶望だけして生きていかなくてもいいように、神様は人に考える力をくれたんだと思うから。


これからも理想を掲げながら、現実に足着けてしっかり考えて生きていけたらいいと思う今日この頃。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PS

「月で会いましょう」って表現…いいねぇ。

こういう…表現を変えて伝わる言葉、好きです。

Xで見た「二日酔い→肝臓が拒絶する」も好き。笑