先日、たまたまネットで

STAP細胞の記事を読んでいるときに

隣の部屋のテレビで48年も人生をすり潰されたあとになってやっと釈放された袴田さんのことをやっていたのが脳内で両者が突然リンクしました。

先に言いますけど

STAP細胞事件が“冤罪”だという主張ではありませんからねw



冤罪は必ずしも

「悪意」

によって生じるわけではありません

(そんなもので冤罪が生じることがあったら非常に困るので、「悪意はない」と仮定します)

では何で生じるかと言えば…

「善意と熱意」



「信頼関係」

ではないかと思います

事件を解決したいという
善意から熱心に動く人々が

「信頼できる同僚が逮捕したのだからその判断に間違いはないだろう」

「警察がこれだけ捜査して、こいつが犯人だと言うのだから、間違いないだろう」

「検察がきちんと調べて起訴したのだから、こいつが犯人だろう」

「前の裁判官がきちんと裁判をして有罪判決を出したのだから、こいつが犯人だろう」



「信頼関係の連鎖」

「証拠をきちんと調べる」
という

手間を省いて

「死刑が確定した」

のではないかなと想像しています。

そしてそれと同様のSTAP細胞…


「自分が信頼する有名な学者が

『正しい』

というのだから、
STAP細胞はあるのだろう


「信頼関係の連鎖」


「論文の内容をきちんと検証する」

手間を省いて
「STAP細胞は間違いない」

になったのではないか

と思ったのです。

あ…

「善意と熱意」

「信頼関係」



もう一つ

「精査の手間を惜しんだ」

も共通していますね。

「STAP細胞は“真実”であって欲しい」

という強い期待を持っています

もちろんiPS細胞でも相当のことができるのはわかっています

But

「選択肢」とは少ないよりは多い方が好みなはずです。

しかも、
もし本当に存在するのなら
STAP細胞の方がより“ナチュラル”です


今からでも“再審”は、
「善意と熱意」
「信頼関係」
「科学的・論理的な精査の手間を惜しまない」

とことんおこなってもらいたいものだと期待します

その努力の結果が残念ながら
「STAPはやはり嘘だった」

とか

「壮大なムダだった」



あっさり片付けて忘れてしまうのではなくて
何らかの教訓を得ることができて将来似たことの再発予防ができたら良いとも感じます

裁判での冤罪の再発予防に

現在、関係者の皆さんがどう取り組んでいるのかはよくわかりませんが…
先日、
壁に貼られたメニューを見て
笑いそうになる
カレーライス
(ライス400g)500円
カツカレーライス
(ライス1kg)750円
大盛カツカレーライス
(ライス2kg)1300円

ノーマルのカレーライスが
ライス400gなのに、
カツが載って
ヘビーになってるカツカレーが
なぜか並でライス1kg
このへんの感覚がちょっと
意味不明(笑)

でも、そこは

郷に入っては郷に従え!

カツカレーライス並を注文!
おかみさんが 
「ごはん減らすことももできるけど平気?」と

いやいや


ここで「減らしてください」
なんて言うとなんとなく
負けた気がするので
そのままで!


・カツカレーライス並 750円
 

5分ほどで目の前に置かれた



皿を見て唖然

 
写真では見たけど


ここまでだとは( ̄▽ ̄)
photo:01



ごはんがアルペンルートの雪の壁のようになって…まぁ…

その高さは10cm位かな?
横のコップと比較してもらえればわかりますよね(笑)


その上にはサクサクに揚がった



20cmほどのカツが



申し訳なさそうに載っています(笑)

慎重にごはんの雪山を
崩しにかかる 
一気に崩すとルーがこぼれてしまうので要注意!
 

半分まではペースよく食べ進んで行ったけども
そこから先が一苦労

ごはんはまだマシ…
カツは1切れ食べるごとに
お腹にガツンとくる


その後は、カツにソースをかけたり、ルーに胡椒や七味を入れ、飽きが
来ないように工夫しつつ20分ほどで完食

暴力的!

そして

今日は

でか盛り丼!

photo:02



ご飯800g…

その上に

右車線、焼肉丼!
左車線、カツ丼!

あー肉肉しい!

何この渋滞!

とか言いつつ

食べたけどもねぇ~[みんな:01]




最近、自分の人生を

製作中の絵画だと考えている

画家が絵に取り組むように

自分の人生に

さまざまな色を塗ってきたし

今も塗っている

常に変化し

成長し

進化し

磨かれてきたし

磨いている

一度に少しずつではあるけれど…(笑)

そして

もちろんというか

そんな常に変化し続ける

絵に

完成は訪れないわけで

自分自身

変化し成長することが

人生そのものなのだから

これでいいやと

満たしてしまえばいいのだけれど

満月も満ちれば欠ける

自然界に同じはあらず

人も同じでは飽きがくる

私自身

完璧な人にはなれないが

完璧な自分にならなれる。

しかし

完璧な自分はずっとずっと

未完の情景の様に

大自然の様に

常に変化し成長し進化しているので

自分自身の

完成を見ることは叶わないけれど

絵を描き続けようと心から思う