人は多く独りで生まれてきます。この時、その漠然として観念は絶対的とか「絶対性」とあると考えられます。独りでいることで、絶対性、いわゆる完全に対する思念や完璧にしていきたいという心。完璧主義は、人を束縛する例があるからマイナス的な解釈をされがちになりますが、人は生まれ持っての観念は完璧主義とも考えられます。

 そこから、人間は生命維持として自己肯定のため自己を優れているとする反動でなにかの対象に対して劣っていると対照させ反動するメカニズムの中で自己肯定(または快感)をすると考えられます。この理論の根拠はメラニー・クラインというフロイトの弟子であった方が、「対象関係論」というものに携わり、その主な内容は乳児ははじめ母親を「良い乳房」と「悪い乳房」に分けて捉えている。つまり成長過程から母親は、善いと悪いが統合したものになると思考性を高めていくとあります。私は、生命維持のために良いと悪い、つまり自己肯定のための心の働きを環境性に含有させていくものであると理解しています。

 やがて人は他者の存在を知ります。近所や幼稚園や学校など、子どもたちはその自己肯定のためにもあらゆるパターンを自分の優と劣の心対照原理に含有させることで、次第に独りでは生きていけないことをほとんどの子どもが学びます。しかし、わがままや甘えや寂しさや理解ができなかったりなどで、ないてしまう子どももいると考えられます。

 そもそもロボットのように優秀であるというイメージで人間が存在したら、現在のようなこんなに素晴らしい人間の世界・社会はないでしょう。

 それは、人間が適切な1クラスの中の人数の中で、他ありきゆえの肯定。つまり絶対性と対照する相対性への覚醒なのではないかと考えられます。

 それも受動的にああしなさいと言われ社会的なものの考え方になっていくのと、自発的に社会や人間の絶対性と相対性などをみんなで体験し共有しあい覚醒するのでは、その個人の生きがいや人生観、モチベーションや人間の大きさや心の美しさは違ったものになると考えられます。


 それだけ自発的相対性覚醒は重要と考えられます。