あきさんの記事というか、スキンの写真を見て、強烈に思い出したことがあったので、書いておこう
と思います。
スキンの写真が足元を写してるんですけど、地面が遠いんです。
いえ、多分、普通なんでしょうけど、背の小さい私からすると、「遠い」印象なんですね。
で、思い出したのが父親におんぶしてもらって見た地面なんです。
子どものころ、よく熱を出しては近くの医者まで父がおぶって連れて行ってくれました。
両親は家で紳士服の仕立てをしていたので、父はいつも私のそばにいました。
熱が出たときも、必ず父親が看病してくれましたね。
あ、何しろ気管支炎と扁桃腺肥大なんで、熱が出るといつも40度を超えてしまったんです。
小学生頃までは熱が高いと必ずとても怖い悪夢を見て、うなされて、夢と現実の区別がつかなくなってしまいました。
気がつくと、泣きながら玄関で父に抑えられていた、なんて事が良くありました。
父親に聞くと、突然布団から跳ね起きて、なにやらわけのわからないことを叫びながら泣いて走って外へ出ようとしたんだそうな。
母親では抑えられない勢いだったそうで、いつも寝ずの看病をしてくれました。
私の中にある好みの大部分は、父親の影響だということが、父の死後わかりました。
アニメのトムとジェリーが大好きで、テレビの洋画劇場は欠かさず、海外ドラマシリーズも大好きでしたね。「コンバット」「宇宙パトロール(エンタープライズの事ね^^;当時の邦題)」「奥様は魔女」
......ずっと来て「チャーリーズ・エンジェル」「スタスキー&ハッチ」「ジョン&パンチ」
洋楽を聴くのも父の影響です。
オーディオが趣味で、自分でスピーカーを作るのが楽しみでした。
高校の頃、よく父と秋葉原に行って、いろんなスピーカーやパーツを買いにいきました。
私のバイト代も、プレイヤーのカートリッジに化けてました(わかる人だけわかってください)
今思えば、乗せられていたなって気付くんですが....。
父が亡くなった後、母は父のコレクションのスピーカーを全部捨ててしまいました。
チューナーもアンプもイコライザーも全部.....
試行錯誤して作った「バックロードホーン」タイプスピーカーはとっておいてほしかったなあ。
母は父が無くなってからは、連続ドラマをみて、歌謡番組を見て、バラエティを見てました。
ああ、全部父の好みだったんだなあって、このとき初めて気がつきました。
ウォルト・ディズニーの世界が大好きだった父。
アニメを真剣に見ていた父。
私がアニメの活動をしていたとき、手作りのトレス台を作ってくれた父。
ちょっと今日は思い出してました。
またぽつぽつ書きたいと思います。