味覚と嗅覚が無くなって

大きな不安にペッシャンコに

押し潰されていた時。

私がやってこなかったことが

分かった。

次にやるのはこれなのね、と

降参する形になった。



それは母に泣きつくということ。

夫に散々泣きついてたから

やってるつもりでいたけど

私にとって夫は今はやりやすい人。

ずっとやりやすい人にやってても

発展はしないんやな、

やりにくい人にやるんやな、

と思ってしまったから

もうやるしかない。



母に電話して

ペッシャンコの現状を聞いてもらう。

怖くてたまらない、

助けてほしい、

そんな言葉を伝え、

次の日母に私の家に来てもらった。

母に膝枕をお願いした。

思い切り泣かせてほしい、

何も言わなくていいから、

吐き出したい、とお願いした。



お母さんの膝で

ウワーーーン、お母さーーーん、って

泣いて

怖いよーーー、怖いよーーー、って

泣いて

泣いた。



思う存分泣かせてもらった後、

私はずっとお母さんに泣きつきたかったのかも

という言葉がポロッと口から出た。

それを聞いた母は

こんなこと今までずっと

あなたにさせてあげられてなかったもんね、

そのことはお母さん反省してるの、

と言った。

母の言葉を聞いて私は

お母さんは反省しなくていいよ、

私がどこかで泣きついてはいけないって

勝手に決めたんだよね。

だから今できてよかったよ。

と伝えてることができた。



お母さんのせいじゃない

私が母に伝えたいことはこれだった。

あの時はああだった、

本当はこんな気持ちだった、

本当はこうして欲しかった、

ずっと申し訳なく思ってた、などなど。

40過ぎて随分遅れてやってきた反抗期を

迎えた私の話す内容は

父と母には堪えただろう。

でもね、

お父さんとお母さんを責めたかった訳じゃない、

責めるためにそんなこと話したんじゃない。

ただ私のことを知ってほしかった。

ああいう時あんな気持ちになる私、

ずっとこんな気持ちを持ってた私、

その私をそうなんだと知ってほしかった。

ごちゃごちゃ話したけど

ずっと私は自己紹介していただけ。

そして、

私ってこんな感じなんだよね、

こういうのが私なんだよね、

なので拗らせまくりの私なんだけど、

こんな私なんだけど、

これが私なんで、

この私でこれからもよろしくね。

これが1番言いたかったこと。



これが私なんで

この私で

どうかこれからもよろしくね。

それを言いたいために

ごちゃごちゃごちゃごちゃ

やってきたのーー。



これからもよろしくね。

私の心の奥底には

こんなにほっこり温かい気持ちが

ありましたとさ。



私のホッとした気持ちが母にも

伝染したのか

帰り際母は私を大きくハグして

最後には

好きだよと私に投げキッスまでして

帰っていった。

私は母で、母は私。

お互いに癒されたのなら良し。