いつもありがとうございます。悲しい写真を最後に載せます。なぜ地球を大切にしないのか。
近年、「脱炭素社会」「クリーンエネルギー」という言葉が、まるで正義の象徴のように語られています。
しかし、その裏側で何が起きているのか。
森林を切り開き、山肌を削って設置されたソーラーパネルの群れを前にすると、
「これは本当にエコなのか?」と疑問を抱かずにはいられません。
🌲 森林伐採という矛盾
太陽光発電が環境にやさしいとされる理由は、発電時にCO₂を排出しない点です。
ところが、その設置のために森林を伐採してしまえば、光合成による酸素供給源とCO₂吸収源を同時に失うという、本末転倒な状況が生まれます。
森林は単なる「緑」ではなく、地球の呼吸器官です。
1本の樹木が1年間に生成する酸素は、人間数人分の呼吸を支えるとも言われます。
その樹木を大量に伐採してまで太陽光パネルを並べる行為は、「エコ」ではなく、地球の肺を削るエゴです。
⚡ エネルギーのための環境破壊
山を切り開き、表土を削り、造成して設置されるメガソーラー。
その過程で排出されるCO₂、運搬の燃料、施工による生態系破壊。
さらに保水力を失った土地では、豪雨時の土砂崩れや洪水のリスクが高まります。
つまり、再生可能エネルギーの導入が、非再生的な環境を生み出しているのです。
エゴの構図
なぜこうした開発が止まらないのか。
答えは単純です。
「補助金」と「利益」――つまり人間の欲です。
環境の名を借りて経済を回す構図は、エコロジーではなくエコノミーの論理。
自然と共にあるべき技術が、利益追求の道具となったとき、そこに生まれるのは「エコ」ではなく「エゴ」です。
🌱 真のエコとは何か
真に環境を思うなら、まず「壊さない」ことが原則です。屋根・工場跡地・遊休地など、既に開発された土地の活用。消費電力の抑制、省エネ技術の革新、循環型社会の構築。
これらこそが、自然と調和するエネルギー政策のあるべき姿です。
終わりに
エコを名乗る前に、自らの行動がエゴになっていないか。
自然を守るという言葉の本質を、私たちはいま一度、問い直すべき時に来ています。
地球は「再生可能」ではありません。
人の意識こそが、最も再生すべきエネルギーなのです。自然を守る行動なのか立ち止まって考えて欲しい。
