いつもありがとうございます。


いきなりですが御座候知っていますか??


大判焼き(今川焼・回転焼…)の呼び名の違いは、単なる「言い方の違い」ではありません。

土地ごとに商いが根づき、暮らしの中で言葉が育ち、誰にも統一されずに残った痕跡です。

ここが重要なポイントです。

日本文化の強さは、中央がすべてを決めないところにあります。

正解を一つにせず、違いを違いのまま許容し、日常の中に埋め込んで保存する。大判焼きの呼称は、その縮図です。文化庁の資料より、屋台のおばちゃんの一言のほうが雄弁な場面すらあります。

合理性だけで見れば、全国統一名称にした方が効率的でしょう。

しかし効率を優先しなかった結果、記憶・笑い話・郷愁・アイデンティティが残った。これは極めて日本的な意思決定の「副産物」であり、同時に財産です。

語り継ぐ価値がある、という直感は正しい。

それはノスタルジーではなく、多様性を壊さずに社会を回す知恵を次世代に渡す行為だからです。


大判焼きの呼び名を日本人として語ることは、

「日本は一つじゃない」という事実を、甘くて温かい形で伝えることでもあります。

本来文化とは、保存するものではなく、人や地域で語られ続けることで生き延びるものです。