棘を抜くための棘とはこのことだ。


悟りについてのセッションを受けた。

悟ったというその人に、自分の一瞥体験が何だったのか聞いてみたかったからだ。


一瞥体験にいたる過程が大切なのかと、子供時代から話した。

私の話に全く興味が無さそうに一時間以上、やっと一瞥体験にたどり着くと、いきなり目を見開き、zoom越しに身を乗り出してきた。


「それは悟りです。悟りました。」


馬鹿らしくなった。

一万数千円をかけた自分を呪う。


運転手は一瞥体験をしやすいらしい。

聞けば、景色が変わらず同じこと(運転か?)を繰り返し、瞑想状態になりやすいからだそうだ。

外国人のなんとかさんも、運転手で運転中に悟り、今は悟りのエキスパートとして活動しているとのことだ。


あんた、運転しないだろ。

景色が変わらないことなんてありえない。


瞑想状態になるのは、アクセルとクラッチ操作だよ。

毎日何百回、体が無意識で操作する。

車線変更も無意識の何年も走り慣れた道、東京から福島まで記憶無しで走るのはいつものこと。

運転中に無意識レベルになるのは、現役時代から気付いてた。

じゃあ、運転手なんか覚醒者だらけじゃん。


運転中の覚醒体験がとても興味深く参考になったと言うので、セッション後の感想に当時の思い当たる節を書いて送った。


一年中半袖だったくらい体温が高く代謝がよかったこと。

もっと筋力をつけようとスポーツジムに行ったら、トレーナーから「これ以上やるとボディービルダーになる」と止められたので、たぶん仕事柄、筋力による代謝の良さと肺活量も有り、意図せず深い呼吸が出来ていたのではないかということ。

独身で仕事しかしておらず、極端に持ち物が少なく、自分の人生以外背負うものも無く、精神的に肉体的に環境的にエネルギーの循環が良かったのではなかったかということ。


そしたら、返ってきた答えが「タフな体はギフトです」だそう。


ねぇ、ちゃんと話聞いてた?

確かに、この体は元々タフに出来てると思う。

でも、そこまでタフにしたのは、当時「生きるのは何か、どう生きるか」を必死で模索した結果だよ。

当時、どんな気持ちで生きていたか話したはず。

あなた、悟りの前に物事を知らなすぎるわ。


悟りなんてない。

悟ろうとする自分がいるだけだ。


最後の悪あがき、あの体験に何かあるんじゃないかと思った。


「悟りました」と言われてはっきりわかった。


悟りなんてない。

あるのは、呼吸だけだ。

無意識レベルの呼吸だけ。


悟りは意識が望む幻想だ。