1月18日にお通夜
1月19日に葬儀を無事に終えました


お通夜までの間 まだ時間があったので
私なりに出来る事を考えて
最後のお手紙を書き

祖母がグランドゴルフが好きだったので
ゴルフクラブは棺に入れられないから
布と割り箸を使って名札も付けてゴルフクラブを作りました

1月18日の夕方にご主人と会場へ
家族葬の小さな会場でした
このお通夜で祖母と対面しました
顔に少々のキズと瞼に内出血が見られましたが穏やかな顔をしていたのが救いでした

警察での司法解剖?での結果は
落ちた?倒れた?時に石に背中を打ち付けた時に肝臓の血管に傷が付き
そこからの出血による【失血死】だろう
との事でした
ただどういう状況からの打ち付けかはわからないままでした
発見されたのは母の誕生日1月14日ですが
死亡推定時刻は1月13日の夕方頃との事でした


でも葬儀も全て終えて実家に着いた時に
母に祖母のメガネを見せてもらいました
片側の耳にかける部分が大きくひしゃげており
衝撃の凄まじさを感じました
転んだだけではメガネはあそこまでひしゃげないだろうから
ちょっと高い所から落ちたのではないかと私や母は推測しました

祖母の顔を見た時は涙が出ましたが
この日泣いたのはこの時だけ
実はご主人と2人で受付を任され
てんてこまいだったので比較的冷静でいられました

お通夜には実家の集落のみなさんや
母の勤め先の方々など沢山の方々に来ていただきました

この状況ですから
館内に入る前に手の消毒と検温しました
受付にも飛沫防止パネルが設置されていましたし
みなさんマスクされていました
そしてみなさんお線香をあげて下さり長居せずに帰られましたので
長時間の密は避けられました

沢山の方々に来ていただき祖母も喜んでいたと思います
私も嬉しかった
お通夜も終わりお弁当いただいて
宿でいただきました


1月19日
朝8時に会場へ
祖母の最後に乗る霊柩車を撮って中へ


中へ入ると祭壇を撮るおじさんの姿
昨日来られなかったおじさんに久しぶりの再会をした所で
お坊さんのお経から始まり
お別れの時間に
棺に洋服や帽子、四国お遍路さんの時の杖を入れ
私は手紙と布で作ったグランドゴルフクラブを入れました
最後に沢山のカラフルなお花とお通夜の時に来ていただいた方からいただいた沢山の折り鶴を棺に入れました
この時にはもう号泣でした
最後に祖母の顔に触れました
冷たかった
すごく冷たかったです

そして釘打ちになり
ばぁちゃんの時もそうでしたが
今回も私が最後でした
釘打ちしたくない気持ちと
でもしなくてはならない気持ちとが複雑に入り乱れましたが
打ちました
切ないです
あの釘打ちは本当に切ない

そしてそれぞれの車で火葬場へ

着いてすぐに炉に入れられました
大号泣でした
扉が閉まってしまうあの瞬間が一番辛い
本当にもう最後で
本当にもう会えないのだから
約1時間ほどで火葬も終わり
骨を広い
最後は素手で頭の骨を骨壺へ納めました


その後、会場に戻り
祖母の親戚方が数組集まり
11時から葬儀が行われました

葬儀も終わり
実家のある集落へ戻り
お寺さんで四十九日法要をやっていただき
納骨もして無事に終えました

納骨の時に見えた
ばぁちゃんと祖父の骨壺が見え
なんか久しぶりの再会で嬉しかったです

ばぁちゃんは11年前に亡くなりましたが
亡き祖父は私が2歳の時に(昭和56年の2月)亡くなったので初孫である私は祖父の記憶は残念ながらありませんが
早くに夫を亡くした祖母からすると
ようやく再びの祖父との再会を果たせたのではとなんか感無量になってしまいました

もしタイムマシーンがあったら
祖父と祖母の若かりし頃を覗いてみたい
あとは私が生まれてからの2年間を見てみたい


南伊豆から富士宮に無事に帰宅し
いただいてきたお弁当を夕飯にいただきました

香典返しも



1つだけ


1つだけ神様に聞けるなら聞きたい



もしあの事故がなかったら
祖母はあと何年生きられたのか?



93歳
足腰も丈夫で
まだまだ元気だった祖母
1月13日
旧正月に供えるウバメガシを取りに行ったまま
かえらぬ人となりました


最後に会ったのは去年の10月
南伊豆町で開催された伊勢海老まつりや
休暇村南伊豆に泊まったあの日が最後でした



ばぁば
今まで沢山苦労かけて本当にごめんね
そしてありがとう

ばぁば
大好きだよ