クリスマスから年末年始にかけて、町中にあふれてるイルミネ-ションが、今年は悲しい思い出色に輝いています。

 

 

 

年末年始の忙しい時期になりました。

 

町のイルミネーションはうつくしいですが、寒いのできをつけてください。

 

 

 

 2024年、我が家に仏壇が来た。

 つまり、新ぼとけができた。それも今年だけで三体も。

 父と母、そしてペットのチワワのシロです。

 

 まず8月4日の猛暑で、犬一匹だけで室内で留守番していたシロが熱中症になり、死亡しました。

 ついで10月10日には、92歳の父が老衰のため病院で死亡しました。

 

 さらに、高齢者施設に入所していた89歳の母も12月20日に、老衰で死亡しました。

 下の写真の二人と一匹は、2024年の夏から冬にかけて、亡くなってしまいました。

 

 

 

 ひとりで寂しかったので、夫婦とペットで連れだって逝ったのですが、あとに残されたものには、厳しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身はたとえ 武蔵野の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂  

 吉田松陰「留魂録」より辞世の歌  二十一回猛士 

 

幕末の尊王攘夷の思想の原点とも言えろ長州(山口県)の𠮷田松陰の思想を反映した辞世の歌を、紹介します。

安政の大獄で29歳で関東で刑死した松陰の無念さを反映したのが、「身はたとえ 武蔵野の野辺に 朽ちぬとも」という言葉で、

のちに明治維新に通じる高杉晋作・伊藤博文・桂小五郎らの思想、そればかりか「松陰塾」や「松陰高校」など現在の教育思想にも影響を与えている吉田松陰の「松下村塾」の誰一人とりのこさない教育方針の考え方が反映それています。

 

 

 たとえ刑死しても、21回でも生き返って、この世でやり残したことを実現するというのが、「二十一回猛士」に込められた思いです。