公務員を定年退職後に、臨時教員になった「1周遅れのラスト先生」。

 当初、産休の先生の代わりの任期は1ケ月でしたが、育休の先生の令和4年度の任期を受け継ぎ、今年3月まで延長してもらいました。

 しかし、その延長してもらった任期も令和5年3月末で切れたため、ラスト先生は7ケ月間の代用教員の役割を終え、学校を離れることになりました。
 思えば、講師歴のないラスト先生への学校側の風当たりは強く、いわば「塩対応のガラスの教壇」でした・

 事前に通信教育まで受けて、教員免許の更新分を埋めたのに、実際にやらせてもらったのは、T2と呼ばれるセカンドティチャーの役割がほとんどでした。自習の監督や急遽休んだ英語の先生の代わりやテスト監督がほとんどで、ラスト先生のもっている免許「中学社会」の授業はほとんどさせてもらえないまさに「ガラスの教壇」でした。
 
 あとで、社会を担当した先生が、社会の免許をもっていない臨時の先生であったことがわかった時には、ショックでした。

 

 

 

 

<卒業式後、教室に残された黒板アート>

 

 

 

 

 

 一方で、クラブの顧問の仕事は厳しく、平日の放課後はもちろん毎日あって、土曜日も連数があり。ないときは他校との試合や公式戦などが毎週、週末には入っています。

 私は高校の体育で剣道を選択していただけなので、段位はもちろん、級ももっていません。
 それでも、生徒たちは誠実で、暖房もない剣道場で裸足で練習し、私にも「先生」と言ってくれて、監督の代理をしていた私に、正座で試合結果を報告してくれました。

 私も、少しでも生徒の心をあっためてあげたいと考え、自腹で購入し、練習前に1人1個ずつ配ることにしたのが「使い捨てカイロ」でした。

 暖房のない剣道場で、みんなの心を1日限定で温めてくれる「使い捨てカイロ」は、生徒たちはもちろん、応援にきた保護者にも好評でした。
 1人1日100円~200円の費用であまりかけずに、生徒や保護者の心を温めてくれる「使い捨てカイロ」はまさに、持続可能な「奇跡の使い捨てカイロ」でした。

 最後に、私が学校を去るとき、「バイバイ先生」と、何度も何度も言ってくれた女子生徒たちの声は、いつまでもいつまでも、私の心に残りました。


 もし、私がもっと若ければ、、毎日、通勤時間の1時間にさらに加えてみんなより早く来て、準備をし、正規の教員を目出すでしょうが、最年長の私には、そんな体力も時間も残されていないように思われます。

 人生を俯瞰すれば、私がこれからやるべきことは、これ以上、先生のブラック勤務を増やすことではなく、先生がなぜ足りないのか、なぜ生徒を信用しようとしないのかを実戦から指摘し、生徒、保護者。地域に信頼され愛される教師像を描いてみることだと思います。


 

 

 

<1人1人に配布した使い捨てカイロ>