熊本・大分を中心とした九州本土の地震は、小康状態になっているようです。

 気象庁も警戒を呼び掛けているように、まだまだ油断はできませんね。


 地震以外にも、窃盗や偽カンパ、ネット批判、そして避難所でのノロウイルスの流行やエコノミー症候群など、まだまだ被災者のみなさんの苦難は続いているようです。


 でも絶望だけはしないで、がんばり過ぎないように、がんばってください。



 ところで気になるのは、今後、「熊本地震」が、他の断層や、東海・東南海・南海の巨大地震を起こす「南海トラフ」に、影響をするのかしないのかということですね。


 もちろん、予知はできませんが、過去の「南海トラフを震源とする巨大地震」の前に、何が起きたを調べてみることが、今後の参考になると思います。


 そこで、過去の「南海トラフを震源とする巨大地震」の前に起きた自然現象を、歴史的な事実としてみてみたいと思います。


 

 「東海地震、東南海地震、南海地震」が、単独または連動して発生する「南海トラフの巨大地震」は、7世紀から現在までの約1400年間に、記録が残っているものだけで9回起こっています。


 今回は、そのうち、飛鳥時代から平安時代にかけて起こった、最初の3回の大地震について、調べてみたいと思います。


<2016年4月16日の熊本地震(本震)の震度分布図 気象庁HP>




 日本の記録上、確実に発生したと思われる最初の「南海トラフを震源とする巨大地震」は、飛鳥時代の西暦684年11月26日(天武13年10月14日)に起きた「白鳳地震(はくほうじしん)」です。


 四国の高知や和歌山県などでの大きな被害があり、津波も発生したことが「日本書記」に記載されています。


 M(マグニチュード)は8.3~8.4で、震源は「高知県沖~駿河湾(静岡県)」に至る広範囲の地震で、「東海・東南海・南海の3連動の地震」ともいわれています。


 それでは、この地震の前にあったことは何かというと、地震発生5年前の679年初頭(天武7年12月)に、なんと九州・福岡県(当時の筑紫国)で、M6.5~7.5の地震が発生しています。


 これは、福岡県久留米市にある「水縄断層(みのうだんそう)」が動いたのが原因と言われていて、三千余丈の地割れができたという記載があります。


 地震の規模(熊本地震の本震はM7.3)、九州の内陸で発生、そして地割れといい、今回の地震とダブってちょっと不気味ですね。


<熊本地震で被災した南阿蘇村>






 「白鳳地震」から203年後、平安時代中期の西暦887年8月22日(仁和3年7月30日)に起きたのが、記録上2回目の「南海トラフ巨大地震」の「仁和地震(にんなじしん)」です。


 「日本三代実録」の記載では、五畿七道諸国で官舎の倒壊や津波により犠牲者が出たと伝えられています。

 特に京都や摂津(大阪北部と兵庫県南東部)での被害が大きかったようです。


 この地震の規模は、M8.0~8.5で、「高知県沖~駿河湾」を震源とする「東海・東南海・南海の3連動地震」と推定されています。


 この「仁和地震」の前に何があったかというと、24年前の864(貞観6)年5月に、富士山の「貞観大噴火」があり、青木ヶ原樹海ができました。さらに、「熊本の阿蘇山」も噴火しています。


 続いて、19年前の868年7月30日(貞観10年7月8日)には、M7台の播磨国地震が現在の兵庫県であり、「山崎断層帯」が活動しました。


 翌869(貞観11)年7月9日には、M8.3~8.6の「貞観地震」が岩手県~福島県沖を震源に起き、大津波が三陸地方を襲い、死者が1000人以上出ました。

 この地震と津波が、東日本大震災と同規模であったとも言われています。


 うん?

 兵庫県で直下型地震が起き、次に東北の太平洋側で大津波。

 これって、現在の状況と似てますね。

 それでは、このあと1100年前は、何が起きたのでしょう?


 878(元慶2)年10月28日、つまり貞観地震の9年後、そして「仁和地震」の9年前に、関東でM7.4の直下型地震「相模・武蔵地震」が起き、多数の死者がでました。


 その後、886年に伊豆諸島で噴火がありました。

 また、「仁和地震」の1月前の、西暦887(仁和3)年7月29日に、京都でM6.5の地震が発生し、日本海側の越後西部(新潟県)に津波が押し寄せ、1000人以上が溺死しました。


 そして、887(仁和3)年8月22日に、「仁和地震」が発生し、近畿・東海・四国の広い範囲で大きな揺れと津波に襲われました。






 

 3回目の「南海トラフを震源とする巨大地震」は、「仁和地震」から209年後、平安時代末期の1096(嘉保3)年と1099(承徳3)年に起こった「永長・康和地震」です。


 この地震の特徴は、2つの巨大地震が2年2か月の時間差で発生している点です。


 まず、1096(嘉保3)年12月11日に、M8.0~8.5で、和歌山県潮岬以東の「熊野灘・遠州灘」を震源とする「永長地震(地震により嘉保から改元)」が起きました。


 この地震は、「東海・東南海地震」と考えられていて、京都の皇居が破損したり、奈良・東大寺の鐘が落ちたりし、駿河(静岡県)や伊勢(三重県)などの東海地方で大きな津波が発生し、多くの犠牲者が出ました。

 死者は1万人以上とも言われています。


 「永長地震」の2年2か月後、1099(承徳3)年2月16日に、今度は潮岬以西の四国沖などを震源とするM8.0~8.5の「康和地震(承徳を地震のため改元)」が発生しました。


 この地震は、「南海地震」と推定されており、「永長地震」に誘発されて起こった地震です。

 実は、東海・東南海・南海の3つの地震は、時々、時間差で起こります。


 この地震で、奈良の興福寺や大阪の天王寺に被害があり、土佐(高知県)では、多くの水田が海底に沈んだという記録があります。


 では、「永長・康和地震」の前には、何が起こったのでしょうか?。

 

 まず、地震発生の13年前の1083(永保3)年4月に、富士山が噴火しています。

 さらに、地震発生の8年前の1088(寛治2)年6月4日には、岩手県宮古市で9回の地震と3回の大津波が起こりました。




 以上、平安時代までに起こった3回の「南海トラフを震源とした地震」について紹介しました。


 古い時代は、記録が少ないために、巨大地震の前に起きたことは、わからない部分もあります。

 しかし、西暦684年の「白鳳地震」が「九州北部の直下型地震」のあとに起こったことと、西暦800年代に起きた、「播磨国地震(近畿直下型地震)」→「貞観地震(東北の大津波)」→「相模・武蔵地震(関東直下型地震)」→「仁和地震」の流れは、すごく気になりますね。


 「直下型地震のあとに南海トラフの巨大地震が起きる」とか、「火山の大噴火と巨大地震は連動する」という説もあります。


 ほかの6つの「南海トラフ巨大地震」の前に起こった事象についても、次回以降に検証してみたいと思います。



 最後に、「熊本地震」については、いろいろネガティブなことも言われていますが、それでも秩序と礼儀を守る被災者の皆さんの姿や、「国境なき医師団」をはじめ、警察・消防・自衛隊の応援隊、そして他県からのボランティアや義援金など、「やっぱり日本は一つで、困難な時には助け合う」という精神が生きているのは、世界への誇りであり、うれしいですね。


 がんばろう熊本、がんばろう大分、そしてがんばろう日本!