Symphony
No.33 in B Flat K.319(1779) Mozart - Symphony No. 33 in B flat, K. 319 [complete]
モーツァルトの父レオポルトは、もともとは哲学や歴史を修めるために大学に行ったが、途中から音楽家に転じたという経歴を持つ、ザルツブルクの宮廷作曲家・ヴァイオリニストであった。母はアンナ・マリーア・ペルトルで、7番目の末っ子としてヴォルフガングは生まれた。ほかの5人は幼児期に死亡し、唯一、5歳上の姉マリーア・アンナだけが成人した。
父・レオポルトは息子が天才であることを見出し、幼少時から熱心な音楽教育を施した。
モーツァルトは3歳のときからチェンバロを弾き始め、5歳のときには最初の作曲を行ったのだった。
父とともに音楽家としてザルツブルク大司教ヒエロニュムス・コロレド伯の宮廷に仕える傍ら行ったウィーン、パリ、ロンドン、およびイタリア各地への大旅行は、よりよい就職先を求めるためでもあったが、どこの宮廷にも口は見つからなかった。
1762年1月にミュンヘンへ、9月にウィーンへ旅行したのち、10月13日、シェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの前で演奏した際、宮殿の床で滑って転んでしまい、6歳のモーツァルトはそのとき手を取ってくれた7歳の皇女マリア・アントーニア(のちのマリー・アントワネット)に「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったという逸話がある。
7歳のときフランクフルトで演奏した際に作家のゲーテがたまたまそれを聴き、そのレベルは絵画でのラファエロ、文学のシェイクスピアに並ぶと思ったとのちに回想している。