お母さん、これで大丈夫かな? -3ページ目

お母さん、これで大丈夫かな?

誰にも話せない、相談されても困っちゃうだろうって家族の悩み事を吐き出す為の独り言です。

母は、49歳の時に乳癌を患いました。
幸い初期だった為、部分切除と放射線治療で経過観察となり約20年再発転移なく過ごしていました。
結局68歳で腎臓癌になってしまったものの、乳癌とは関係ない癌と説明されました。
そして、腎臓癌の告知後2ヶ月もしないで急性単球性白血病を発症し、亡くなりました。
先生には3つの癌は関連性はないと言われましたが、放射線治療の2次癌じゃないのか?等残された家族は色々と考えてしまいました。
関連性がないというのが本当なら、母は68歳の人生で3種類の癌を患ったという事。
でも再発も転移も、辛い抗がん剤治療も経験していません。
これは、あまりに突然だった母の死に納得できない私達の救いでもあります。
気丈で弱音を一切吐かない母が、再発転移を繰り返し弱って行く姿を見せずに亡くなったのです。
考えようによっては幸せな亡くなり方だと…
亡くなる2ヶ月前に発覚した腎臓癌のおかげで、母に対する感謝の気持ちや長生きをして欲しいと度々伝える事が出来ました。
死に目には会えなかったものの、母の様な母になりたい。子育て中の私は、母の偉大さを思い知らされ素直にその気持ちを伝えていました。
まだまだ必要です!母親とは子供にとって絶対的な存在です。わたしも母親、子供達の絶対的な存在なのだからお母さんの様に強くならなきゃね!
普通の日々では伝えられない様な言葉を、肝臓癌発覚により伝える事が出来て良かったです。
炎症値が高く、抗生剤投与の為緊急入院した翌日、10時過ぎに自宅の電話が鳴りました。
父からで、母が急変して急性白血病になっている。危険な状態だから直ぐに来て欲しいと…
癌治療中の母が急性白血病に!?しかも危険な状態!?あまりに急な話でビックリしながらも、
子供達の準備をして連れて行くべきか、近くの義実家に預けて私だけ駆け付けるべきか迷いましたが、今すぐどうこうはないとの父の話を信じ、とりあえず私一人で行って、状況によって後から旦那に子供達を連れて来てもらおうと考え向かいました。
が、電車が事故で止まっていて1時間以上遅れていると。連絡を受けた旦那が、仕事を切り上げ戻っていると聞き、旦那と子供達みんなで車で向かう事にしました。
結局出発も1時間位遅れてしまい、車で向かう途中何度も電話が。「あとどれくらい?」
今すぐどうこうはない。と聞いていたのに、実際は朝の時点で脳出血を起こしていてすでに手遅れ、しかも心停止をして蘇生したものの意識はなく人工呼吸器により何とか、家族が駆け付けるのを待っている様な状態だったのだそうです。
結局、私は間に合いませんでしたが先生の好意で人工呼吸器は外されずに、私の到着後に死亡確認をして頂きました。

前日入院した時、既に鼻血と歯茎からの出血があったそうです。
朝、父が病院に着いたら母は意識のない状態で眼からも出血していたと……
白血病ってそんな病気?いくらなんでも急過ぎない?前日の血液検査で何でわからなかったのか?
なんで?なんで?なんで?
今でも消えない思いがあります。母は、そうやって突然亡くなってしまいました。
現在74歳の父。
長女47歳、既婚子供なし。
長男45歳、既婚小5♂年長♀あり。
次女私39歳、既婚小2♂年長♂あり。

2012年3月31日、母が急死しました。
死因、急性白血病による脳出血。急性単球性白血病。
亡くなる前の2月頭に腎臓に癌が見付かり片方の腎臓を摘出し、インターフェロン投与中でした。
見付かった癌は進行癌で顔付きも悪く、再発転移の可能性も高いとの説明ではあったものの
手術時には転移はなく、とにかく少しでも長い時間再発転移をしないように経過観察をして行こうと話していました。
そんな中、風邪の様な症状が続き熱が下がらず食べ物も食べられない、口内が腫れて喋りづらい、
そんな症状で診察を受けたら血液検査の結果炎症値が高く、感染症を起こしている為点滴治療をすべく急遽入院しました。
その日、私達兄弟には「点滴治療で直ぐに落ち着くであろうと先生も言ってるから、見舞いなど来なくてよいからね!」と伝えられました。
それを聞いて、私はさほど心配な状況ではないんだなーと呑気に思ってました。
母のいない2度目のお正月。
老人性うつ&軽度認知症と診断された父。
久しぶりに泊まった実家で、バタバタと家事をして帰って来ました。

母の急死から今まで、本当にたくさん色んな事がありました。
話したくても話せない、聞いても困るとわかっている家族の悩みなど吐き出して行きたいと思います。