お母さん、これで大丈夫かな?

お母さん、これで大丈夫かな?

誰にも話せない、相談されても困っちゃうだろうって家族の悩み事を吐き出す為の独り言です。

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父は今、幾つかの病気と認知症があり、週二回のヘルパーとデイサービスを利用しながら埼玉で1人暮らしをしている。
その為ちょいちょい実家に行かなくてはいけない事がある。
最近は確定申告、ケアマネージャーとの定期面談、介護認定の更新の面談…
朝ご飯を作り、子供達を旦那に頼み7時過ぎに出て夕方までに戻る為には現地にいられるのはほんの数時間、戻ってから子供の習い事、晩御飯、時にその後夜シフトのパートがある時もある。結構ハードで…

つい先日確定申告の為に行ってきたばかり。確定申告するにも源泉徴収票って何?って状態の父。源泉徴収の再発行をする為に基礎年金番号が必要だけど、それすら??な状態。大事な物入れに入っているハガキを数枚FAXして貰い、あっけなく基礎年金番号はわかったので、再発行の手続きをする為に年金事務所へ…で、必要書類を準備して確定申告。FAXが送れるだけラッキーと思うべきか…

昨日市役所から電話があり、今月中に介護認定の面談をしたいと。決まった日にちは春休みで子供達がいる。半日以上留守番させる訳にもいかないので連れて行くしかないけど、出来れば置いて行きたい。
面談の後にはケアマネに会いに行かなきゃだし。ダメ元だけど、わかってるけど、何となく旦那に「この日休めないよね?」と聞いたら「無理だね」とあっさり。
わかってるけど、わかってたけど、何かがぷっつり切れてしまった。
思わず「私達兄弟を見て、お義母さんが介護必要になった時に同じようにお義姉さんと2人で全部やってよね。近くにいるからって私にやらせないでよね!」と言ってしまった。
兄は私1人に負担を負わせるのを気にしているが、昨年病気で半年も休職し職場復帰して頑張っている兄に無理をさせたくない。
病気になる前はかなり無理して父の対応を背負ってくれた。昨年は次男が幼稚園だったから自由になる時間が短く出来なかったことが、今は何とか出来る様になった。今は私が頑張る時だと思っている。
姉も病気で今は身動きが取れないので。姉も回復すればいずれは私以上に色々とやってくれるはず。
兄弟で出来る人が出来る時に協力してやって行くしかない。助け合える兄弟がいて本当に良かった。でも、ちょっと疲れた。考える事は山程ある。会う度父は愚痴や不安を訴えてばかりで、私や孫の心配は全く頭にない。
しょうがない。わかってる。
今月から増やしたパート、着工間近な家の事、子供の事、まだキャパオーバーではないと思ってたけど、完全に他人事の旦那にもの凄くムカついてしまった瞬間。義母に責任はないけど、義母の介護はやってやんないぞ!その時思い知れば良い!私達兄弟の大変さを。フン

愚痴
以上
8歳上の姉、6歳上の兄、幼い頃は歳が離れていたせいもあり、喧嘩も全くした事がなかった…というよりそもそも一緒に過ごす時間があまりなかった。
私の小学校入学と同時に兄は中学入学、姉は中学3年生。部活や塾、受験など小学校低学年の相手などしている暇はない訳だ。
だから私は妹や弟が欲しいといつも思っていた。お姉ちゃんとお兄ちゃん両方いるなんて羨ましいと良く言われたが、実際は一人っ子みたいな状態だったので寂しいと感じていた。


何かで、歳の離れた兄弟ほど大人になると仲良くなると聞いたことがあったが、それは本当だった。歳が離れているが故か、変なライバル心もなく只々単純に私は姉も兄も尊敬していた。私が大人になるにつれ、自然と年齢差からくる距離感は縮まり、よく兄弟で飲みに行ったりする様になった。
今でも兄弟仲は良い方だと思う。
母が亡くなった後に、母がよく「兄弟家族皆が仲良く飲む姿を見るのが嬉しい。自分の子育ては成功したんだと思える。」と話していたという話を叔母から聞いた。

元々仲が良く、皆が集まると沢山お酒を飲みお喋りをする。姉兄が居てよかったと常に思っていた。
でも、母の急死後色々と不幸が続く度に更に絆は強まり、兄弟のありがたさを感じる日々だ。

母の腎臓癌がわかってから、元々ネット依存気味だった私は夜な夜なネットで母の癌について調べていました。
その後、白血病で急死してからはさらに酷くなり、なぜ母は亡くなったのか?自分を納得させるためにも母と同じような亡くなり方をした人がいないか調べたりしていました。
そして、すっかり夜眠れなくなった私は、色々な病気特に癌や白血病の方の闘病ブログを読む事にハマっていました。毎晩号泣です。
その習慣は今でも変わらず、闘病ブログは必ずチェックし読んでいます。
密かにブログを読ませていただいていた方のブログが途絶えると不安でしょうがないし、訃報を知るとショックで落ち込む……
旦那からすると、夜な夜な闘病ブログを読みながら涙を流している姿をみると、決して前向きには見えない為「もう闘病ブログ見るのやめなよ。」と何度か言われました。
でも、闘病しながら明るく前向きに生活している方々のブログは私にとって励みになり、今や生活の一部でもあります。私も頑張らなきゃ。そう思えるのです。


私と同世代の方々が闘病しているブログを読んだりすると、自分はなんてダメなんだろう。もっと頑張らないと。と思います。ただ、闘病ブログで、その方のお母様が闘病を支え励ましている内容などを読むと、あぁ私が病気になっても私を励まし支えてくれたであろうお母さんはいないんだなぁ…と思ってまた泣けてしまうのです。

書いていて嫌になるくらい情けないですよね。
病気で戦っている方達からしたら、誰が好き好んで母親に心配を掛けて世話をして貰ってると思うんだ!と思う事でしょう。

大丈夫、私はお母さんの娘だもん。病気になっても絶対に負けない。
そう言える私になりたい。



母が突然亡くなったのは、ちょうど長男の入学と次男の入園の直前で長男の入学式に出席した足でお通夜に向かいました。
私と母は、姉からすると“似たもの同士”だそうですが、だからなのか子供の頃からよくぶつかり思春期の頃は喧嘩ばかりでした。
母は自分にも他人にも厳しい人で、まず弱音や愚痴を言っているのを聞いた事がありませんでした。本当に強い人でした。“似たもの同士”と言われたものの、私は気にしいでそんなに強い人間ではありません。私が弱音や愚痴を言おうものなら「それはあんたが悪い!」とお説教される為、何かを母に相談したり愚痴を聞いてもらう事はありませんでした。

そんな私も、結婚し子供を産んでからは事あるごとに電話して相談したり報告したり…多い時は週に3回くらい電話していました。
なので、入園入学直後日々色々なことがあり、母が生きていたら電話するタイミングだなぁと毎日の様に話したい事があり、母の死を嫌でも思い知らされる日々でした。

母が亡くなるなんて、まだ覚悟は出来ていませんでした。
何故だか死ぬなんて想像出来ませんでした。
母親ってすごい。こんなに絶対的な存在だったなんて。

うちの長男(小2)は、サッカー少年団に入っています。
なかなかの強豪チームで、低学年にして既に試合に1秒も出られないメンバーが何人もいて息子もあまり試合に出れず苦戦しています。
ただ、常に一生懸命本気でサッカーに取り組む子供達の姿にはいつも感動させられ、スポーツって素晴らしいなぁと感じる日々です。
息子がサッカーを初めた事もあり、なんとなく見始めた高校サッカー。
テレビ中継された試合全ては観ていませんが、観る度に感動✨フィールドに立てずに観客席から声を枯らして泣きながら応援するチームメイトや、負けてしまい3年生に泣きながら謝る1~2年生の姿に私も号泣😭

そして、今日はいよいよ決勝戦
深い意味はないけれど、準決勝を観て星稜を応援していた私。
実は、昔から私の応援しているチームは負けてしまう事が多い(涙)
でも今日は終了間際まで2-0で星稜がリード。守備力の高い星稜から2点以上取るのは難しいだろうなぁ。と思いつつ「もしこれで逆転負けしたりしたら、私はもう長男の試合に応援に行かない方が良いかもね」なんて旦那と軽く話していた数分後………まさかの展開で大逆転😱
星稜のキャプテンの終了直後の無表情な表情が何とも切なく可哀想でした💧

にしても、やっぱりスポーツって素晴らしい✨
なんとも暗く落ち込みがちなお正月だったのが、箱根駅伝と高校サッカーで随分と前向きな気持ちを貰えました✨