「スカイ・クロラ」
昨日の夜、観にいってきました。
普段、映画をあまり観ない自分には難しい内容でしたが、いろいろ考えさせられる内容でした。
押井守監督が「今、若い人たちに伝えたいことがある。」という思いのもと作った映画だそうで、押井守監督の過去の作品とは異なるものだそうです(過去の作品を観たことがないですが)。
「スカイ・クロラ」の世界は現代に似たもう一つの世界。
ホームページにあった内容を拾ってみました。
しかし人々は世界のどこかで誰かが戦い、死んでいく現実を必要としていた――平和を実感するために。「ショーとしての戦争」、安全な場所からそれを見つめることでしか、平和の大切さを実感できない大人たちがいる。彼らにとって、それは、絶対に終わらせてはいけない、そして嘘であってはいけないゲーム。確実に誰かが死に、確実に誰かが、誰かを殺す。
永遠の子供たち《キルドレ》の物語。思春期の姿のまま成長をやめ、大人にならない彼らに約束された永遠の命。原作を読んだ押井守の目に映った彼らは、平和であるが故に生きている実感を持てない今の若者の姿そのものだった。
彼らは思春期の姿になると成長することをやめてしまう。そのまま年をとらず、大人にもならず、永遠の命を生き続ける――空で死なないかぎり……。地上にあるのは、うんざりするほど退屈な、永遠に続く日々。そんな彼らにとって、唯一、自分の居場所だと感じられるのが、戦闘機に乗って命懸けで戦う空。永久に思春期の容貌のまま、戦争の為だけに存在し、戦争以外では死ぬことがない彼らを、好奇と哀れみを込めて人々は「キルドレ」と呼ぶ。
新聞を几帳面に折りたたむ癖、タバコに火をつけたマッチ棒を必ず折ってから捨てる癖。彼らのさりげない癖は、仲間たちを見送るキルドレにとって大きな意味を持つ。なぜなら、その癖を再び目にする時が来るかもしれないから――。
クサナギ・スイトの司令室では、部屋の主がいないときもオルゴールが鳴り続けている。曲が終わっても、もう一度始めから。何度も何度も繰り返される同じメロディ。それはまるで、キルドレたちの運命の象徴であるかのようだ……。
絶対に終わらせてはいけない戦争には、絶対に倒せない敵が存在する。それが、ただひとりの大人の戦闘機乗り、ティーチャーだ。機体に黒豹のマークを描いたティーチャーの前に、多くのキルドレたちが散っていった。永遠の子供たち《キルドレ》が倒すべき“父”――。彼を倒したとき、何かが変わるのだろうか? 彼を倒さなければ何も変わらないのだろうか?
生きる実感を持つ事が出来ない現代に、押井守監督が問いかける“生きている意味”とは。《生きている実感のない若者=キルドレ》の物語がこの夏、生まれる──。
映画の出だしはキャラクターの無表情さや声優の強弱のないしゃべり方に「なんなんだ?」と思っていました。
個人的には俳優さんが声優をやるとイマイチ演技力がないというか、声優と俳優はやはり違う仕事だと感じていました。
でも、物語が進むにつれて押井監督の意図しているところが伝わってくるようでした。
キャラクターの無表情さや、淡々とした話し方は押井監督の表現方法ではないかと思いました。
いろいろと現実社会の問題点などが盛り込まれている作品だなと感じました。
もっともっといろんなことを感じて、考えてみたいのでまた観にいきたいと思います。











