投影同一視。
投影同一視は、二つの精神分析的概念の組み合わせでできている。
投影と同一視のこと。
投影というのは、自分の中に生じた気持ちを相手に投げ込むということ。
例えば、子犬が自分に寄ってきた時、自分が寂しければ「お前も寂しいんだね」と子犬に声をかけるかもしれないけれど、自分が楽しい時には「かわいい奴だなー」とグリグリしたくなるかもしれない。
人は結構そういう風に、自分の気持ちによって相手の見え方を変えてしまうもんなんだよね。
これは生き物に限らず物に対しても起こること。
じゃあ同一視はというと、投影した相手に自分を重ね合わせるという感じかな。
「お前も寂しいんだね」と子犬に声をかけた時、子犬は自分の分身となっている。
だから、優しく抱いて頭をなでてやったりすれば、それは自分が頭をなでてもらったことにもなる。
自分と相手があたかも同一のものになるから同一視って言う。
本当は、誰かに言ってもらいたい、してもらいたいことなんだけど、自分で自分にするのは難しいから、何かを通して自分の気持ちを落ち着けようとするってわけ。
投影同一視は怒りの感情を持ったときにもよく起こる。
特に境界性パーソナリティ障害の人は、自分が怒っているということを認めることが苦手だったりする。
苦手というか自分が怒っていると意識すらできていないことが多いのかも。
そんな時、誰かに会うとその相手がイライラしているように錯覚してしまうことがある。
イライラを相手に投影しているということだね。
すると、本人から相手に「そんなにイライラしないほうがいいよー」なんて、優しく声をかけてあげたりするんだけど、相手にとったらなんのことかさっぱりわからない。
でも、本人にしてみたら、それは自分が優しく声をかけてもらったことと同じことだから、ちょっと怒りが収まったりするわけなんだ。
あるいは逆に相手に向かって「イライラしないでよ!」とぶつけて、自分では解決できなかった自分の中の怒りと対決したりすることもある。
心当たりがない相手は突然のことに戸惑って謝ったりするかもしれない。
そうすると、謝ってもらえたからちょっとイライラが収まる。
一方、相手が「イライラなんかしてないよ!」と怒り返してきたときは、「ほら、やっぱりイライラしてるじゃない」と自分が正しかったことになるから、これまたちょっとイライラは収まる。
いずれにしても、自分一人で解消できなかった気持ちを、他人に投げ込んで、巻き込んで解消するわけ。
そもそもなんで投影しちゃうかと言うと、パーソナリティ障害の人は、自分の中に「悪い感情」をとどめておくことが苦手だからなんだ。
悪い感情って言っていいのかは微妙だけど、「怒り」「悲しみ」「寂しさ」「ずるさ」など、パーソナリティ障害の人が自分の中にあってはいけないと感じているもののこと。
それがあると、自分が「正しい存在」じゃなくなっちゃうようなもの。
とにかく自分は真っ白な綺麗な存在じゃなくちゃいけないから、誰かに悪い感情を投げ込んでしまおうとして、結果的に相手を黒く染めてしまうことになっちゃうんだ。
一方、状態が安定している時は、自分の中の良い感情を相手の中にも映し出すから相手がとても良い人に見える時もあるにはある。
それが続いている時は良い関係が築けるんだけど、度がすぎて依存関係になってしまうこともしばしば。
そんな中、基本的にはパーソナリティ障害の人は感情的に不安定な場合が多いから、一番仲の良いはずだった身近な相手に悪い感情を投影せざるを得なくなってしまって関係が悪くなっていく。
相手としては本人の態度こそが突然変わってしまったように感じるんだけど、本人としては相手の態度が変わったと思うわけで、お互いに相手が悪いと思うことになるから絶交ということになったりする。
結局、パーソナリティ障害の人は相手に裏切られたと感じることが多くなるし、他人は信用できないという信念を強めていってしまう。
そんな感じで、パーソナリティ障害の人の世界観は敵か味方か、黒か白かみたいになっていっちゃうんだよね。
反対に、すでにそういうのに疲れちゃってると、もういっそ真っ黒な存在でいるべきだと考えちゃう人も結構いるみたい。
自分の中に、ちょっとでも良いところが残っていると「偽善」だと感じてしまって、そういう自分にうんざりしていかに自分が悪い存在なのかを主張することも多いね。
中間色の灰色とか、黒白のマーブルでいられるようになるとちょっとは楽なんだろうけど、言うは易し行うは難しなんだよねぇ。