父がコロナ肺炎で急逝しました。
病気知らずで、元気でよく食べる働き者の父で、
80歳ですが自営で仕事をしていました。
コロナの症状が出たのが今月初め、それから2週間ほどで亡くなってしまいました。
本人も私達家族も、入院して治療を受けたら退院できると思っていたので、とてもショックでまだまだ信じられない気持ちです。
父が1番悔しい気持ちで逝ったと思います。
やり残したことがたくさんあったでしょう。
隔離病室だったため面会もできず、病室前の小さな窓から様子を見ることしかできませんでした。
父は枕元に携帯電話をおいていて、私達は病室の外から会話をする形でした。
隔離病室から一般病室に移るという日の朝、母から電話があり、
お父さん、危ないみたい、、、
と、涙声でした。
私は動悸と震えが止まらまい状態で息子達を起こし、職場に連絡を入れ、車に乗りこみました。
こんな日にかぎって、道路が工事中だったり赤信号が多かったり、、、
病室入ると、モニターは赤い警告ランプが点滅していました。
母は父の手を握り、ずっと
お父さん、お父さん、
と呼びかけていました。
私と息子達も腕や足をさすりながら、
お父さーん
じじー
と呼びかけ続けました。
呼吸か止まりかけたとき、耳元で
お父さーん
と叫ぶとまた呼吸が復活して、
あっ、聞こえてるんだ。お父さん、頑張ってくれてるんだ。
と感じました。
でも、、、
私達が病室に着いて1時間ほどで息を引き取りました。
母、弟、姪、息子達、おば(父の妹)に見守られながら。
父が溺愛していた孫達(みんな夏休み中)が駆けつけられたことは良かったと思います。
就職して遠くにいたり、学期中で授業中だったら無理でしたから。
コロナが5類になる前は、重症者や死亡者の数が毎日報道されてましたが、
今では、ほとんどないですね、
あのときは、いつかは自分の身にもと不安でしたが、どこか他人事と思っていたのも事実です。
父のように命を落とす人もまだいます。
コロナが憎いです。
感謝をちゃんと伝えたかった。
美味しいご飯をたくさんご馳走したかった。
旅行にも連れて行きたかった。
孫の成長を見続けて欲しかった。
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たくさんの後悔がずっしりとのしかかります。
棺に入れたメッセージ
(他に、普段よく身につけていた服や帽子、仕事で作ったもの、大好物のマグロ、焼肉なども入れました)
葬儀では孫4人が、それぞれお別れの言葉をかけました。
優しく穏やかな性格で怒ることはない人でした。
参列した方からも、
◯◯さんには本当にお世話になってねぇ、、、
◯◯さんにはよくしてもらったのよ、、、
早すぎるね、、、
悔しい、、、
といった言葉をかけてもらいました。
残された家族は喪失感でいっぱいですが、みんなに惜しまれながら人生を終えた父は、ある意味幸せだったのかもしれませんね。
私や弟、孫達にもたくさんの愛情をそそいでくれました。
父の娘に生まれて幸せでした。
お父さん、本当にありがとう。